今日は父の日でした。6月の第3週の日曜日なんて曖昧な記念日を誰か決めたのかなとふと思い立ちWEBで調べてみたら、1910年にアメリカのとある夫人が、自分を男手一つで育ててくれた父のために、誕生日であった6月に教会にお願いをして礼拝をしてもらったことが切っ掛けと言われているそうです。ちなみに日本では1950年代頃から知られるようになったとのこと。意外と歴史は浅いのですね。
ところで、私の父は昭和11年生まれなので、もう70歳になりました。若い頃はスポーツマンで2枚目だったらしい(母の話なのでかなり怪しいですが)のですが、今となっては真っ白な頭に老眼鏡を付けていて、その頃の面影はほとんど残っていません。
私は小さい頃から母っ子だったので、どこに行くにも母にはついて行っていたのですが、父と遊んだりどこかへ行ったという記憶はあまり残っていません。父は田舎にありがちな厳格な人だったので、なんとなく距離感もあり、照れ臭さもあいまって、私が東京に来るまでは年を取る毎に話す機会は少なくなっていました。今振り返ってみると相談事もしたことが無いように思います。
一方で、父は公務員だったこともあり、平日の夜や休日にはほとんど家にいたので、いつもそばに居たという不思議な感覚もあります。私のベンチャー気質や志向は、その平凡な生活へのアンチテーゼ(反立)なのかも知れません。ただ、祭りと世話好きなところは私に似ていて、定年後はスポーツ指導員とか、町内会の役員とかそういうのばかりをしていました。私から見ていると定年後の方が忙しいようにすら感じます。私が最終的には地元に何かしらの形で貢献したいと考えるているのも、その血筋なのかも知れません。
そんな近くて遠い存在だった父も、最近は怖いぐらいに人が変わってしまって、非常に穏やかでやさしくなりました。健康のことや仕事のことを心配してたまにメールや電話をくれます。それも年のせいかなと思うとちょっと寂しい気持ちになります。
父の事は尊敬していますし、できれば今までまだ何もしてあげれていないので、今後親孝行をしていきたいとも思います。
今日は、柄にもなく故郷にいる父に電話を入れてみたのですが、「もうすぐ株主総会だけれども配当を出さないで文句言われないのか?」と余計な心配をしてい
ました。早く安心させてあげたいものです。