今日はアナリスト向けの中間決算説明会がありました。
いつもより多い方々に来ていただき、以前よりもfonfunへの関心が高まっていることを感じました。
この説明会の模様(動画)は、早速ホームページにアップしていますので、ご興味のある方は、PCにてfonfunホームページをご覧ください。
話は変わりますが、今日はグループウェアを提供しているサイボウズの青野社長と食事をご一緒してきました。
サイボウズさんとは、たまたまなのですが、投資している先が重なっていたり、fonfunの監査役が同社の子会社の社長をしていたり、という縁があります。
青野さんとは、数年前にとある泊りがけのカンファレンスで、偶然飛行機の座席が隣り合わせになったことからお知り合いになり、両社ともビジネス向けのサービスを提供(先方はPC・法人、fonfunは携帯・コンシューマがメイン)しているということもあり、何かご一緒できないかという話が盛り上がりました。
青野さんとは、もう一つ共通点があります。
それは二代目社長であること。
サイボウズ社は、高須賀さんという創業社長がいらっしゃったのですが、2年ほど前にお辞めになり米国に渡られました。
fonfunは、飯田さんという創業社長から、やはり2年前に私にバトンタッチしています。
そういう意味では、創業社長が持っていた株の移動先で悩んだり、今までの路線から大きく舵取りをしなくてはいけない点など、同じ境遇を経験しており、感覚が共有できる方です。
歴史の短く創業社長が目立ちがちなネットベンチャーの業界で、このような世代交代はとても珍しいケースです。
ただ、青野さんは大株主社長であるにもかかわらず、私は少数株主社長である点が大きく異なります(笑)。
それは、本日色々お話をしている中でも正直羨ましく感じる部分がありました。
サイボウズさんは既に一部上場を果たされていて時価総額も大きいので、私が言うのも僭越なのですが、二代目社長としてお互い頑張っていきたいと思います。
Archive for November of 2006
二代目社長
November 30, 2006頭の切り替え
November 29, 2006
私が親しくさせていただいている、A社長は、とても優れた才能をもっています。
その方は、頭の切り替えがとても早いのです。
何をしているときでも、違うことが急に入ってきても、何の抵抗もなく違うことに入っていける・・・、やはりこれは一種の才能だと思います。
A社長とは海外出張で何度かご一緒したことがあるのですが、例えば車に乗りながら、たった今まで柔らかい話をしていたにもかかわらず、急に思いついたように携帯をとって国際電話をかけ始めます。そして何やら複雑な話をしていたりします。
夜に一緒にお酒を飲んでいるときにも、国際電話が入ると、その席に座ったままそれまで何事も無かったかのように、仕事の話をしています。
そして、それが終わるとまた何事も無かったように陽気に話し始めるのです。
逆もまたしかりで、外国語で真剣なMTGをしているときに、日本の親しい方から電話があると、モードが一気に切り替わったりします。
ちなみにAさんは、これはプライベートと仕事のモードのみならず、あるものがダメだと思ったときにすぐ次の考えに移れるという面でも切り替えが早いです。
本当にこの社長にはいつも感心しています。
勿論、私も海外にいるときには、国際電話があると緊急性が高いと思うので、よほどのことが無い限りは受けるのですが、相手がどう受け取っているかはともかく、自分の中ではこの社長のように一瞬にして180度切り替わるという芸当は真似できないのが正直なところです。
普段の生活の中でも、ついついプライベートの楽しいひとときの間にも、ふといつの間にか仕事のことを考えていたり、マッサージなどでリラックスしているときに、仕事の連絡が来ると頭の切り替えに少し時間がかかったりします。
「仕事をするときは仕事をする」、「遊ぶときは遊ぶ」このメリハリは、自分でも大事にしている部分で、うちのスタッフにもよくそういった話をしていますが、真の意味で実行できている方は尊敬します。
その方は、頭の切り替えがとても早いのです。
何をしているときでも、違うことが急に入ってきても、何の抵抗もなく違うことに入っていける・・・、やはりこれは一種の才能だと思います。
A社長とは海外出張で何度かご一緒したことがあるのですが、例えば車に乗りながら、たった今まで柔らかい話をしていたにもかかわらず、急に思いついたように携帯をとって国際電話をかけ始めます。そして何やら複雑な話をしていたりします。
夜に一緒にお酒を飲んでいるときにも、国際電話が入ると、その席に座ったままそれまで何事も無かったかのように、仕事の話をしています。
そして、それが終わるとまた何事も無かったように陽気に話し始めるのです。
逆もまたしかりで、外国語で真剣なMTGをしているときに、日本の親しい方から電話があると、モードが一気に切り替わったりします。
ちなみにAさんは、これはプライベートと仕事のモードのみならず、あるものがダメだと思ったときにすぐ次の考えに移れるという面でも切り替えが早いです。
本当にこの社長にはいつも感心しています。
勿論、私も海外にいるときには、国際電話があると緊急性が高いと思うので、よほどのことが無い限りは受けるのですが、相手がどう受け取っているかはともかく、自分の中ではこの社長のように一瞬にして180度切り替わるという芸当は真似できないのが正直なところです。
普段の生活の中でも、ついついプライベートの楽しいひとときの間にも、ふといつの間にか仕事のことを考えていたり、マッサージなどでリラックスしているときに、仕事の連絡が来ると頭の切り替えに少し時間がかかったりします。
「仕事をするときは仕事をする」、「遊ぶときは遊ぶ」このメリハリは、自分でも大事にしている部分で、うちのスタッフにもよくそういった話をしていますが、真の意味で実行できている方は尊敬します。
嫌いな仕事
November 28, 2006
皆さんは食べ物を食べるときに、好きなものから食べますか? それとも好きなものは最後に残しておきますか?
好きなものから食べると最初はとても幸せですが、最後に嫌いなものが残ると食後の感覚はあまりいいものではないかも知れません。
嫌いなものから食べると、最初は辛いですが、最後には幸せな気分になることができます。
もちろん、嫌いなものから食べると、お腹がいっぱいになって好きなものをおいしく食べれないという人もいるかも知れません。
食べ物については、どちらの順番でも個人の自由ですが、仕事の場合にはちょっと違うかも知れません。
仕事の場合には、できるだけ嫌な仕事から始める、ことが大事だと思います。
「嫌な仕事」と書いてしまうとちょっと主観的になり、個人の好き嫌いではないか、と思われるかも知れませんが、「嫌な仕事」というのは、大抵問題を含んだ厄介な仕事であることが多いと思います。
例えば、金額や契約の交渉、遅延債権の回収、顧客のクレーム対応、悪化した人間関係の補正などなど。
これらを面倒だと思って後回しにしてしまうと、状況はもっと悪くなります。
すぐに対応すれば大きな問題にならずに済んだのに、対応をしなかったり、上司に報告しなかったりしているうちに、問題が大きくなって、取り返しのつかないことになることもあります。
これは人の性格にもよるのですが、何より「習慣」になってしまうとなかなか改善することができないから怖いものです。
私も社会人生活の中で、そのような例をいくつも目にしています。
逆に「嫌な仕事」をその場ですぐに処理しようとする人は、ほとんど大きな問題を生じることが無いので、仕事を任せる側も安心して任せることができます。
このように仕事をするうえで「嫌な仕事から取り組む」ようにすると、まず間違いないことが多いと思います。
このことはfonfunの行動指針の中にも含まれていて、自戒の意味も込めて書いていたりします。
そろそろ私も予算の数字とにらめっこする時間のようです・・・。
好きなものから食べると最初はとても幸せですが、最後に嫌いなものが残ると食後の感覚はあまりいいものではないかも知れません。
嫌いなものから食べると、最初は辛いですが、最後には幸せな気分になることができます。
もちろん、嫌いなものから食べると、お腹がいっぱいになって好きなものをおいしく食べれないという人もいるかも知れません。
食べ物については、どちらの順番でも個人の自由ですが、仕事の場合にはちょっと違うかも知れません。
仕事の場合には、できるだけ嫌な仕事から始める、ことが大事だと思います。
「嫌な仕事」と書いてしまうとちょっと主観的になり、個人の好き嫌いではないか、と思われるかも知れませんが、「嫌な仕事」というのは、大抵問題を含んだ厄介な仕事であることが多いと思います。
例えば、金額や契約の交渉、遅延債権の回収、顧客のクレーム対応、悪化した人間関係の補正などなど。
これらを面倒だと思って後回しにしてしまうと、状況はもっと悪くなります。
すぐに対応すれば大きな問題にならずに済んだのに、対応をしなかったり、上司に報告しなかったりしているうちに、問題が大きくなって、取り返しのつかないことになることもあります。
これは人の性格にもよるのですが、何より「習慣」になってしまうとなかなか改善することができないから怖いものです。
私も社会人生活の中で、そのような例をいくつも目にしています。
逆に「嫌な仕事」をその場ですぐに処理しようとする人は、ほとんど大きな問題を生じることが無いので、仕事を任せる側も安心して任せることができます。
このように仕事をするうえで「嫌な仕事から取り組む」ようにすると、まず間違いないことが多いと思います。
このことはfonfunの行動指針の中にも含まれていて、自戒の意味も込めて書いていたりします。
そろそろ私も予算の数字とにらめっこする時間のようです・・・。
着物
November 27, 2006
日本が誇れる文化の一つとして着物があると思いますが、着物は和服と言ってもいいかも知れません。
中国の方と話していると、たまに日本の着物の話になるのですが、最初は「ホーフ」と言われても何のことだかさっぱり分かりませんでした。中国では和服として知られていて、和服の中国語発音が「ホーフ」と言うのです。
中国の方は皆さん和服がとても綺麗だとおっしゃいます。特に女性の方だと一度は着てみたいと・・・。
中国ではそれだけ日本の人が和服を着る機会が多いと思っているのかも知れません。これはきっと教育やマスコミの影響でしょう。
今ではすっかり晴れ着(イベントの時のみ着る服)になってしまった和服ですが、私は以前和服はどちらかと言うと、中国から渡ってきた文化の一つだと思っていたのですが、独自の発展をもっているようです。
奈良時代の遣唐使の影響で、唐からもたらされたものがベースとなって、その後の平安時代にいわゆる「十二単」という鮮やかな衣装が生まれたものと思います。
私も最初例外なく十二単は袿(うちき)を12枚重ねてきていたのだと思い驚いたのですが、実際にはそんなに重ねていたわけではなく枚数の制限も無かったようです。
明治時代に外国の影響を受けて、日本の近代化をPRするために官僚や軍人に衣服令を出して正装は洋服を着るようになってから、徐々に和服は無くなりました。
ちなみに、この頃から洋服と区別する意味で和服を「着物」と呼ぶようになったとか。
日本で着物と言えば「和服」ですが、世界には実に様々な民族衣装が存在します。
中国ではチャイナドレス(旗袍)、韓国ではチマチョゴリ、インドではサリー、他に有名どころといえば、南米のポンチョ、スコットランドのキルト、ロシアのサラファンなどでしょうか。
ちなみに綺麗なもの好きの私が今まで見たうちで一番綺麗だと思うのは絹の素材感と形状が美しいベトナムのアオザイです。
中国の少数民族も実に様々な刺繍をまとった美しい衣装を着ています。
国の文化を表し、維持する意味でも、このような民族衣装は将来的にも残して欲しいものです。
私も今度羽織、袴を着てみたいと思います。
中国の方と話していると、たまに日本の着物の話になるのですが、最初は「ホーフ」と言われても何のことだかさっぱり分かりませんでした。中国では和服として知られていて、和服の中国語発音が「ホーフ」と言うのです。
中国の方は皆さん和服がとても綺麗だとおっしゃいます。特に女性の方だと一度は着てみたいと・・・。
中国ではそれだけ日本の人が和服を着る機会が多いと思っているのかも知れません。これはきっと教育やマスコミの影響でしょう。
今ではすっかり晴れ着(イベントの時のみ着る服)になってしまった和服ですが、私は以前和服はどちらかと言うと、中国から渡ってきた文化の一つだと思っていたのですが、独自の発展をもっているようです。
奈良時代の遣唐使の影響で、唐からもたらされたものがベースとなって、その後の平安時代にいわゆる「十二単」という鮮やかな衣装が生まれたものと思います。
私も最初例外なく十二単は袿(うちき)を12枚重ねてきていたのだと思い驚いたのですが、実際にはそんなに重ねていたわけではなく枚数の制限も無かったようです。
明治時代に外国の影響を受けて、日本の近代化をPRするために官僚や軍人に衣服令を出して正装は洋服を着るようになってから、徐々に和服は無くなりました。
ちなみに、この頃から洋服と区別する意味で和服を「着物」と呼ぶようになったとか。
日本で着物と言えば「和服」ですが、世界には実に様々な民族衣装が存在します。
中国ではチャイナドレス(旗袍)、韓国ではチマチョゴリ、インドではサリー、他に有名どころといえば、南米のポンチョ、スコットランドのキルト、ロシアのサラファンなどでしょうか。
ちなみに綺麗なもの好きの私が今まで見たうちで一番綺麗だと思うのは絹の素材感と形状が美しいベトナムのアオザイです。
中国の少数民族も実に様々な刺繍をまとった美しい衣装を着ています。
国の文化を表し、維持する意味でも、このような民族衣装は将来的にも残して欲しいものです。
私も今度羽織、袴を着てみたいと思います。
純朴な学生
November 26, 2006
先日中国安徽省にあるコンピューター関係の学校を視察してきました。
そこは中国でも有数の大きな学校で全国に15拠点あり、安徽省の合肥だけで5,000人も生徒がいるとか。
最初開発区にある本部にうかがったのですが、何よりも驚いたのは一つの教室の人数。自習室と名を打つその部屋には所狭しとLenovo社(IBMを買収した中国企業)製のPCが並べられ、一人一人の間隔は10cmぐらいしかない感じです。
目測では一つの教室に300名は居る感じでした。
我々が教室に入ると、案内をしてくれた教官が大きな声で「日本からのポンヨウ(中国語で友達とか親しみを込めて言う言葉)です」と紹介すると学生が一斉に大きな拍手で迎えてくれました。
生徒は皆18歳から20歳の若者で、女性も多かったのですが、とにかく「純朴」というのがピッタリで、上海のように髪を染めたり化粧をしたりしている人もおらず、我々が見ると15歳ぐらいにしか見えません。学校側の話を聞くと中身も真面目で素直なようです。
本部の校舎を見た後、車で40分ほど離れた新校舎にも連れて行ってくれたのですが、ここがまたとても広くて綺麗でした。
広大な敷地に校舎が10棟ぐらい、宿舎が6棟ぐらい立ち並んで、まさに総合大学のよう。
開校して間もなく、今いるのは1年生だけらしいのですが、4,000名もいて、全寮制なので、全員が寮に住み込みで学んでいます。
寮も見せていただいたのですが、ちょっと黴臭いのを除いて、什器や身の回りのものが綺麗に整理されており(入学して最初はマナーの学習から始まるとか)、1部屋6人の部屋(ベッドは机の上にある)も思ったより狭くは感じませんでした。
食堂は1日3食で10元(日本円で150円程度)。ここもレストラン顔負けの綺麗なレストランで建物1棟がすべてレストランとか。
自分で掃除、洗濯をして勉強だけの毎日。都心から離れたところにあるので、皆構内からほとんど外に出ない生活を送っているそうです。
視察をして思ったのは、やはり中国の圧倒的なリソース。このような学校がコンピューターに関わらずあらゆるジャンルで、しかも全国に存在するとしたら、と想像したら身震いがしました。
将来はすごい戦力になると思います。
世界で中国が台頭する日は遠くないかも知れません。
そこは中国でも有数の大きな学校で全国に15拠点あり、安徽省の合肥だけで5,000人も生徒がいるとか。
最初開発区にある本部にうかがったのですが、何よりも驚いたのは一つの教室の人数。自習室と名を打つその部屋には所狭しとLenovo社(IBMを買収した中国企業)製のPCが並べられ、一人一人の間隔は10cmぐらいしかない感じです。
目測では一つの教室に300名は居る感じでした。
我々が教室に入ると、案内をしてくれた教官が大きな声で「日本からのポンヨウ(中国語で友達とか親しみを込めて言う言葉)です」と紹介すると学生が一斉に大きな拍手で迎えてくれました。
生徒は皆18歳から20歳の若者で、女性も多かったのですが、とにかく「純朴」というのがピッタリで、上海のように髪を染めたり化粧をしたりしている人もおらず、我々が見ると15歳ぐらいにしか見えません。学校側の話を聞くと中身も真面目で素直なようです。
本部の校舎を見た後、車で40分ほど離れた新校舎にも連れて行ってくれたのですが、ここがまたとても広くて綺麗でした。
広大な敷地に校舎が10棟ぐらい、宿舎が6棟ぐらい立ち並んで、まさに総合大学のよう。
開校して間もなく、今いるのは1年生だけらしいのですが、4,000名もいて、全寮制なので、全員が寮に住み込みで学んでいます。
寮も見せていただいたのですが、ちょっと黴臭いのを除いて、什器や身の回りのものが綺麗に整理されており(入学して最初はマナーの学習から始まるとか)、1部屋6人の部屋(ベッドは机の上にある)も思ったより狭くは感じませんでした。
食堂は1日3食で10元(日本円で150円程度)。ここもレストラン顔負けの綺麗なレストランで建物1棟がすべてレストランとか。
自分で掃除、洗濯をして勉強だけの毎日。都心から離れたところにあるので、皆構内からほとんど外に出ない生活を送っているそうです。
視察をして思ったのは、やはり中国の圧倒的なリソース。このような学校がコンピューターに関わらずあらゆるジャンルで、しかも全国に存在するとしたら、と想像したら身震いがしました。
将来はすごい戦力になると思います。
世界で中国が台頭する日は遠くないかも知れません。
ACCESS(その2)
November 25, 2006
(前日より)
その後「月次決算システム」「人事管理システム」「名簿システム」などを開発したのですが、そのうちに株式公開準備の仕事が忙しくなり、途中でシステムを替えるのも良くないということになり、一番時間のかかった月次決算システムは結局お蔵入りしてしまったのが心残りです。
ただ、何の基礎知識もないのにプログラムを書いていたので、係数の定義の仕方とか、コードの書き方は全く独自スタイルだったので、全然綺麗ではなかったと思います。
プログラムを組んでみて分かったことは、何より論理的思考が必要だということ。
全体像を頭に入れたうえで系統立てて連続性をもって書いていかなくてはならず、ほんの少しのミスでもプログラムは動いてくれないのです。
よく自分が書いたプログラムを走らせてうまく動かないと、「コンピューターが壊れている」などと文句を言っていたのですが、佐藤が「コンピューターは一番正しいし、嘘をつかない、絶対にプログラムのどこかが間違っている」と諌められるシーンが何度かあったのですが、まさに彼の言うとおり、結局私のプログラムのどこかにミスがありました。
今思い返せばACCESSが面白かった一番の理由は、「フォーム」があったからだと思います。
通常販売されているソフトウェアのようなインターフェイスを、自分のオリジナルで作ることが出来て、それを他の人が使ってくれることに喜びを感じていたように思います。
fonfunの新規事業部で新しいサービスを開始するにあたり、現在スタッフHさんが一生懸命ACCESSを勉強しているようです。
日報を見る限り、次第に面白くなってきているようで、はまりそうな予感です(笑)。
私は、最近技術的な話になると、「私は技術者ではないので・・・」といって逃れることが多いのですが、実は既述のように少しはかじったことがあるのです。
また、以前とある雑誌の「EXCELの達人」というコーナーで「EXCEL」の基本的な使い方やマクロの組み方、モジュール(プログラム)などを使った裏技について紹介したこともあります。
今となっては昔の話なので、ほとんど忘れてしまいましたが・・・。
その後「月次決算システム」「人事管理システム」「名簿システム」などを開発したのですが、そのうちに株式公開準備の仕事が忙しくなり、途中でシステムを替えるのも良くないということになり、一番時間のかかった月次決算システムは結局お蔵入りしてしまったのが心残りです。
ただ、何の基礎知識もないのにプログラムを書いていたので、係数の定義の仕方とか、コードの書き方は全く独自スタイルだったので、全然綺麗ではなかったと思います。
プログラムを組んでみて分かったことは、何より論理的思考が必要だということ。
全体像を頭に入れたうえで系統立てて連続性をもって書いていかなくてはならず、ほんの少しのミスでもプログラムは動いてくれないのです。
よく自分が書いたプログラムを走らせてうまく動かないと、「コンピューターが壊れている」などと文句を言っていたのですが、佐藤が「コンピューターは一番正しいし、嘘をつかない、絶対にプログラムのどこかが間違っている」と諌められるシーンが何度かあったのですが、まさに彼の言うとおり、結局私のプログラムのどこかにミスがありました。
今思い返せばACCESSが面白かった一番の理由は、「フォーム」があったからだと思います。
通常販売されているソフトウェアのようなインターフェイスを、自分のオリジナルで作ることが出来て、それを他の人が使ってくれることに喜びを感じていたように思います。
fonfunの新規事業部で新しいサービスを開始するにあたり、現在スタッフHさんが一生懸命ACCESSを勉強しているようです。
日報を見る限り、次第に面白くなってきているようで、はまりそうな予感です(笑)。
私は、最近技術的な話になると、「私は技術者ではないので・・・」といって逃れることが多いのですが、実は既述のように少しはかじったことがあるのです。
また、以前とある雑誌の「EXCELの達人」というコーナーで「EXCEL」の基本的な使い方やマクロの組み方、モジュール(プログラム)などを使った裏技について紹介したこともあります。
今となっては昔の話なので、ほとんど忘れてしまいましたが・・・。
ACCESS(その1)
November 24, 2006
表題を見ると、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか?人気アーティストだった「ACCESS」、携帯のブラウザなどの開発をしている上場企業の「ACCESS」などでしょうか。
私は「ACCESS」を見ると、マイクロソフト社のデータベースソフト「MICROSOFT ACCESS」をすぐ連想してしまいます。というのは、今から12年ほど前に「ACCESS」でアプリケーションを開発していたことがあるからです。
「ACCESS」はデータベースソフトというジャンルに入るため、「WORD」、「EXCEL」などと比べると一般的な知名度は低く、馴染みのある人は比較的少ないのですが、使いこなせるととても便利なソフトです。
話は12年前、イマジニアという会社に出向したときまで遡ります。
人事からは予算や株式公開準備という話を聞いていたのですが、当時はまだ本格的な作業が始まっていなかったようで、配属された部署は「内部監査室」という仰々しいところで、スタッフは私とミサワホームの同期入社で現在fonfunの常務をしている佐藤の2名でした。
そのときの担当役員が、fonfunの創業者でもある飯田専務(当時)。
飯田さんは寡黙で細かい業務指示をしないタイプの方だったので、入社した私は一冊のACCESSのプログラムの本を渡され、業務改善の一環として社内システムの開発をしろと言われただけでした。
私は、それまで「プログラム」というものとは全く縁がなく、大学の講義で「FORTLAN」の単位を試験一夜漬けで取ったぐらいだったので、なぜ自分がプログラムをするのだろう? しかもプログラムが組めるようになるまでの時間は会社にとっては無駄になるのではないか? と幾つか疑問も湧いたのですが、業務命令とあれば仕方が無いので、その日からプログラムの本とにらめっこする日々が始まりました。
飯田さんからその後何の指示もないばかりか、佐藤もほとんど手伝ってくれなかったので、しばらく一人で悶々としていました。
特にプログラムどころか、「データベース」、「フォーム」、「クエリー」、「SQL」など初めて見る単語ばかりで、まさに外国語を勉強しているような感じです。
特に当面は「EXECEL」と何が違うのだろうか? どうして「ACCESS」という特別なソフトを使う必要があるだろうか? という部分が自分の中で消化できずにいました。
それでもなんとか、基本的なモジュールを組み合わせて簡単なプログラムを書いてみたのですが、それが目に見える形で動いたのを契機に、プログラムをするのが急に面白くなってきました。
(明日に続く)
私は「ACCESS」を見ると、マイクロソフト社のデータベースソフト「MICROSOFT ACCESS」をすぐ連想してしまいます。というのは、今から12年ほど前に「ACCESS」でアプリケーションを開発していたことがあるからです。
「ACCESS」はデータベースソフトというジャンルに入るため、「WORD」、「EXCEL」などと比べると一般的な知名度は低く、馴染みのある人は比較的少ないのですが、使いこなせるととても便利なソフトです。
話は12年前、イマジニアという会社に出向したときまで遡ります。
人事からは予算や株式公開準備という話を聞いていたのですが、当時はまだ本格的な作業が始まっていなかったようで、配属された部署は「内部監査室」という仰々しいところで、スタッフは私とミサワホームの同期入社で現在fonfunの常務をしている佐藤の2名でした。
そのときの担当役員が、fonfunの創業者でもある飯田専務(当時)。
飯田さんは寡黙で細かい業務指示をしないタイプの方だったので、入社した私は一冊のACCESSのプログラムの本を渡され、業務改善の一環として社内システムの開発をしろと言われただけでした。
私は、それまで「プログラム」というものとは全く縁がなく、大学の講義で「FORTLAN」の単位を試験一夜漬けで取ったぐらいだったので、なぜ自分がプログラムをするのだろう? しかもプログラムが組めるようになるまでの時間は会社にとっては無駄になるのではないか? と幾つか疑問も湧いたのですが、業務命令とあれば仕方が無いので、その日からプログラムの本とにらめっこする日々が始まりました。
飯田さんからその後何の指示もないばかりか、佐藤もほとんど手伝ってくれなかったので、しばらく一人で悶々としていました。
特にプログラムどころか、「データベース」、「フォーム」、「クエリー」、「SQL」など初めて見る単語ばかりで、まさに外国語を勉強しているような感じです。
特に当面は「EXECEL」と何が違うのだろうか? どうして「ACCESS」という特別なソフトを使う必要があるだろうか? という部分が自分の中で消化できずにいました。
それでもなんとか、基本的なモジュールを組み合わせて簡単なプログラムを書いてみたのですが、それが目に見える形で動いたのを契機に、プログラムをするのが急に面白くなってきました。
(明日に続く)
上海蟹
November 23, 2006
中国の料理で、北京と言えば北京ダック、上海と言えば上海蟹ですが、今のシーズンは上海蟹が旬です。
ところで上海蟹って、どのぐらいの大きさだと思いますか?
食べたことのない方は意外と大きさを知らないことが多いようです。
中国では上海蟹のことを大閘蟹と言うのですが、名前に反して(!?)実際にはとても小さい蟹です。
目測では縦10cm、横15cmぐらい。値段は重さで決まってきます。
雄と雌があるのですが、10月は雌が食べ頃で200gぐらいのものが、11月は雄が旬で250〜300gぐらいのものが食べ応えがあると言われています。
小さいということは、それだけ食べるところが無く、身も多少はあるものの、正直蟹味噌を食べるだけ、といった感覚に近いです。
ただ、この蟹味噌、鶏の卵の黄身と味ととても似ていると思うのは私だけでしょうか?
上海蟹には、偽物もあり、これらと区別するために、最近本物には識別プレートが付いているぐらいです。
この識別プレートにはID番号が記されていて、この番号で蟹の産地が分かるとか。
しかも携帯電話のショートメッセージでこのIDを送ると本物かニセモノかの連絡がくると聞いたことがあります。
ただ、今ではヨーロッパにも上海蟹がある(一部に中国から流れ着いたとか、船に付いて辿り着いたとかの説あり)とも言いますから、何をもって上海蟹というのかは難しいようです。
私の経験上では、上海蟹は店によってかなり味に差があり、本当においしいと感じるのは3軒に1軒ぐらいです。
日本の中華料理店で上海蟹を食べるとかなり高価(4,000円から5,000円ぐらい)ですが、中国でも上海蟹は高級で、一匹(一杯?)100元から200元ぐらいします。中国で現地の人が外食する場合、一人当たりの消費額が20元〜50元程度であることを考えるとかなり高い金額です。
fonfunの業務提携パートナーでもあり、日本で中国商品を販売している知音社では店頭で上海蟹が500円ぐらいで売られていましたが、あの値段がどこから来ているのかとても謎です。
上海蟹は、蘇州にある「陽澄湖」の蟹が一番有名で、蟹味噌が他よりも甘みがあって、大きさも比較的大きいのが特徴です。
今度「陽澄湖」の本場に行って、本物の、かつおいしい「大閘蟹」を食べてみたいものです。
ところで上海蟹って、どのぐらいの大きさだと思いますか?
食べたことのない方は意外と大きさを知らないことが多いようです。
中国では上海蟹のことを大閘蟹と言うのですが、名前に反して(!?)実際にはとても小さい蟹です。
目測では縦10cm、横15cmぐらい。値段は重さで決まってきます。
雄と雌があるのですが、10月は雌が食べ頃で200gぐらいのものが、11月は雄が旬で250〜300gぐらいのものが食べ応えがあると言われています。
小さいということは、それだけ食べるところが無く、身も多少はあるものの、正直蟹味噌を食べるだけ、といった感覚に近いです。
ただ、この蟹味噌、鶏の卵の黄身と味ととても似ていると思うのは私だけでしょうか?
上海蟹には、偽物もあり、これらと区別するために、最近本物には識別プレートが付いているぐらいです。
この識別プレートにはID番号が記されていて、この番号で蟹の産地が分かるとか。
しかも携帯電話のショートメッセージでこのIDを送ると本物かニセモノかの連絡がくると聞いたことがあります。
ただ、今ではヨーロッパにも上海蟹がある(一部に中国から流れ着いたとか、船に付いて辿り着いたとかの説あり)とも言いますから、何をもって上海蟹というのかは難しいようです。
私の経験上では、上海蟹は店によってかなり味に差があり、本当においしいと感じるのは3軒に1軒ぐらいです。
日本の中華料理店で上海蟹を食べるとかなり高価(4,000円から5,000円ぐらい)ですが、中国でも上海蟹は高級で、一匹(一杯?)100元から200元ぐらいします。中国で現地の人が外食する場合、一人当たりの消費額が20元〜50元程度であることを考えるとかなり高い金額です。
fonfunの業務提携パートナーでもあり、日本で中国商品を販売している知音社では店頭で上海蟹が500円ぐらいで売られていましたが、あの値段がどこから来ているのかとても謎です。
上海蟹は、蘇州にある「陽澄湖」の蟹が一番有名で、蟹味噌が他よりも甘みがあって、大きさも比較的大きいのが特徴です。
今度「陽澄湖」の本場に行って、本物の、かつおいしい「大閘蟹」を食べてみたいものです。
お酒(その2)
November 22, 2006
(昨日より続く)
私はお酒の量は飲めないのですが、お酒を飲む雰囲気は好きです。
皆でワイワイ盛り上がる宴会も好きだし、お洒落で静かなバーで、カクテルを傾けるのも好きです。
それは、日常の生活と違う雰囲気で、人と話せるからかも知れません。
私は普段から明朗で声が大きいので、お酒を飲まなくてもテンションが高いのですが、逆にお酒を飲みすぎて酔っ払うと、急に大人しくなったりするから危険です(笑)。
私がお酒の中で一番好きなのは、ワインです。特に赤ワインが好きです。
ただ、ワイン通というわけではないので、銘柄とかは詳しくありません。
経営者の方々でワインの話になると、とかくすごく詳しい方がおられて、とてもうらやましく思うのですが、たくさん飲めない私がワインの事を語っても格好良くないかなと思い、深く入らないようにしています。
次に好きなのはウィスキー。
学生時代には「カナディアンクラブ」というウィスキーにはまっていました。
ウィスキーは本来好きではなかったのですが、学生時代の飲み会や友達の家で飲むとなるとウィスキーばかりだったので、慣れたというのが正しいかも知れません。
ビールは、その時の気分や体調により、すごく飲みたい時と飲みたくない時に分かれます。
ちなみにビールをあまり飲むとすぐにお腹がいっぱいになってしまいます。
旅館とかでは、宴会が始まると食事の前にビールをさんざん飲んで、最後にご飯を食べるのが流れですが、あれが未だに慣れずに、最初からご飯と一緒に食べて
しまいます。
カクテルも好きなのですが、甘すぎるカクテルが苦手で、ジンとかウォッカベースがほとんどです。
逆に、苦手なお酒は「日本酒」や「焼酎」。これで私が酒飲みではないことは明確かと思います(笑)。
特に、これらの甘いものが苦手で「白酒(しろざけ)」とか「チューハイ」は全く飲めません。
特にチューハイというのは、生まれてこの方、一度も飲んだことがありません。
紹興酒だけは、中国に行くようになってからたまに飲むようになりました。
ちなみに、ちゃんぽんは絶対ダメです。
韓国では「バクダン」という混ぜ酒が人気があるようですが、おそらく飲んだら大変なことになると思います。
韓国でお酒の席になったら、K取締役に振りたいと思います(笑)。
いずれにせよ、お酒は、気の合う仲間と、楽しいときとか、嬉しいときに、飲みたいものです。
私はお酒の量は飲めないのですが、お酒を飲む雰囲気は好きです。
皆でワイワイ盛り上がる宴会も好きだし、お洒落で静かなバーで、カクテルを傾けるのも好きです。
それは、日常の生活と違う雰囲気で、人と話せるからかも知れません。
私は普段から明朗で声が大きいので、お酒を飲まなくてもテンションが高いのですが、逆にお酒を飲みすぎて酔っ払うと、急に大人しくなったりするから危険です(笑)。
私がお酒の中で一番好きなのは、ワインです。特に赤ワインが好きです。
ただ、ワイン通というわけではないので、銘柄とかは詳しくありません。
経営者の方々でワインの話になると、とかくすごく詳しい方がおられて、とてもうらやましく思うのですが、たくさん飲めない私がワインの事を語っても格好良くないかなと思い、深く入らないようにしています。
次に好きなのはウィスキー。
学生時代には「カナディアンクラブ」というウィスキーにはまっていました。
ウィスキーは本来好きではなかったのですが、学生時代の飲み会や友達の家で飲むとなるとウィスキーばかりだったので、慣れたというのが正しいかも知れません。
ビールは、その時の気分や体調により、すごく飲みたい時と飲みたくない時に分かれます。
ちなみにビールをあまり飲むとすぐにお腹がいっぱいになってしまいます。
旅館とかでは、宴会が始まると食事の前にビールをさんざん飲んで、最後にご飯を食べるのが流れですが、あれが未だに慣れずに、最初からご飯と一緒に食べて
しまいます。
カクテルも好きなのですが、甘すぎるカクテルが苦手で、ジンとかウォッカベースがほとんどです。
逆に、苦手なお酒は「日本酒」や「焼酎」。これで私が酒飲みではないことは明確かと思います(笑)。
特に、これらの甘いものが苦手で「白酒(しろざけ)」とか「チューハイ」は全く飲めません。
特にチューハイというのは、生まれてこの方、一度も飲んだことがありません。
紹興酒だけは、中国に行くようになってからたまに飲むようになりました。
ちなみに、ちゃんぽんは絶対ダメです。
韓国では「バクダン」という混ぜ酒が人気があるようですが、おそらく飲んだら大変なことになると思います。
韓国でお酒の席になったら、K取締役に振りたいと思います(笑)。
いずれにせよ、お酒は、気の合う仲間と、楽しいときとか、嬉しいときに、飲みたいものです。
お酒(その1)
November 21, 2006
私は「お酒」は嫌いではないのですが、量は飲めません。
飲みに行っても、一次会で生ビールを2杯、二次会でカクテルやワインが2杯飲めばいい方です。
家で飲むことはワールドカップサッカーを見るとき以外は、ほとんどありません。
今でこそ自分のペースで飲むことができるので、飲み会が嫌いではないですが、学生や新入社員の頃は「飲み会」があると何となく気がのりませんでした。
理由は簡単で飲ませる人がいるからです(笑)。
お花見とかで救急車で運ばれる人がいるのが自分では信じられませんでした。
そんな私も中国に行き始めた頃は、頑張って飲んでいました。
中国では仲良くなるためには酒の席は避けられないと聞いていたので、なお更義務のように感じていたからです。
中国では、「白酒」という、日本酒のようなお酒があるのですが、アルコール度数が50%ぐらいあるものもあります。
中国では乾杯は一人一人で行うのですが、乾杯した後にグラス(日本のおちょこの透明版のようなもの)のお酒を飲み干して、相手に空のグラスを見せるのがマナーになっています。そして、地方に行くほどこの慣習が根強く残っています。
以前南京に本社がある企業と業務提携をしていたときに、本社に招待され、夕食のレストランに着いて個室に入ると、なんとそこには20名ほどの中国人の方々が
・・・。
先方のウェルカムスピーチで始まった宴会は、偉い人から私への乾杯を求めてきました。
今でこそ少し中国語が話せるので最初から「お酒が飲めない」と言う戦略もできるのですが、当時はそれを断ったら仕事に影響が出るかも知れない、と思うから私も必死です。
そのうえ、その日は体調を崩していて39度ぐらいの熱があったのですが、結局全員の人達と杯を交わしました。
意識朦朧としながらも、これで義務を果たした、と安堵したのも束の間、また偉い人から2回目の乾杯が始まるではありませんか。
さすがに中国で救急車に乗るのは避けたいと思い、意図的にこぼしながらその場をしのぎましたが、その後の記憶がありません。
ちなみに、お酒で記憶が無くなったのは、生涯この時だけです。
(明日へ続く)
飲みに行っても、一次会で生ビールを2杯、二次会でカクテルやワインが2杯飲めばいい方です。
家で飲むことはワールドカップサッカーを見るとき以外は、ほとんどありません。
今でこそ自分のペースで飲むことができるので、飲み会が嫌いではないですが、学生や新入社員の頃は「飲み会」があると何となく気がのりませんでした。
理由は簡単で飲ませる人がいるからです(笑)。
お花見とかで救急車で運ばれる人がいるのが自分では信じられませんでした。
そんな私も中国に行き始めた頃は、頑張って飲んでいました。
中国では仲良くなるためには酒の席は避けられないと聞いていたので、なお更義務のように感じていたからです。
中国では、「白酒」という、日本酒のようなお酒があるのですが、アルコール度数が50%ぐらいあるものもあります。
中国では乾杯は一人一人で行うのですが、乾杯した後にグラス(日本のおちょこの透明版のようなもの)のお酒を飲み干して、相手に空のグラスを見せるのがマナーになっています。そして、地方に行くほどこの慣習が根強く残っています。
以前南京に本社がある企業と業務提携をしていたときに、本社に招待され、夕食のレストランに着いて個室に入ると、なんとそこには20名ほどの中国人の方々が
・・・。
先方のウェルカムスピーチで始まった宴会は、偉い人から私への乾杯を求めてきました。
今でこそ少し中国語が話せるので最初から「お酒が飲めない」と言う戦略もできるのですが、当時はそれを断ったら仕事に影響が出るかも知れない、と思うから私も必死です。
そのうえ、その日は体調を崩していて39度ぐらいの熱があったのですが、結局全員の人達と杯を交わしました。
意識朦朧としながらも、これで義務を果たした、と安堵したのも束の間、また偉い人から2回目の乾杯が始まるではありませんか。
さすがに中国で救急車に乗るのは避けたいと思い、意図的にこぼしながらその場をしのぎましたが、その後の記憶がありません。
ちなみに、お酒で記憶が無くなったのは、生涯この時だけです。
(明日へ続く)
栄寿司
November 20, 2006
「高くておいしい店」、それは幾つもありますが、「安くておいしい店」というのは、なかなか見つからないものです。
私がよく行く「栄寿司」はそんなお店の一つです。
栄寿司は、私の家にほど近い、千歳烏山というところにあります。駅からは結構離れているのですが、連日満席状態です。
雑誌とかにも何度か取り上げられたようですが、実際には宣伝する必要もなく、何より口コミで広まるようで、客足は一向に引かないようです。
私も5年ぐらい前に友人からの口コミで存在を知りました。
私は普段週末に行くのですが、週末は特に混むので早めの時間に行くのがベターです。
今日もどうしても食べたくなって、17時ぐらいに行ってきました。
「栄寿司」の特徴は、なんといってもマグロで、「マグロのにぎり」が看板商品になっています。
大トロ、中トロ、赤身とあるのですが、私はトロが苦手なので、いつも赤身を食べるのですが、臭みが無いうえにしっかりした味で、いつもこれを食べると栄寿司に来たな、という実感が湧きます。
他にも私が良く食べる「ホタテ」とか「カンパチ」とか、おいしいネタはたくさんあるのですが、寿司屋の性質上、その日によっておいしいものが多少異なります。
ただ、経験上ここのウニはあまりお勧めしません(笑)。
「栄寿司」のもう一つの特徴は、そのアットホームな雰囲気です。
一軒家を改良したような建物で、1階がカウンターと座敷、2階が主として団体用座敷になっているのですが、座敷のテーブルの間隔が狭いうえに、店員の声を含めて賑やかなので、客観的に見たらお客さんみんなが団体客のような感じに見えるかも知れません。
店員のおばちゃん達は皆長く勤めているようで、気のいい人達ばかりです。
そういう意味では、「接待」や「初デート」には全く向かないのですが、仲間内で食べに行ったり、気を使わないデートには使えるかも知れません。
私も過去何人か社員を連れて行ったことがあります。
海外出張に行っていても、日本食が恋しくなるときは、大概栄寿司を食べたくなります。よって、海外出張の後の週末に栄寿司に行く確率は結構高いかも知れません(笑)。
さて、お値段の方ですが、今までの経験上、お腹いっぱい食べて一人当たり4,000円〜5,000円ぐらいです。
私がよく行く「栄寿司」はそんなお店の一つです。
栄寿司は、私の家にほど近い、千歳烏山というところにあります。駅からは結構離れているのですが、連日満席状態です。
雑誌とかにも何度か取り上げられたようですが、実際には宣伝する必要もなく、何より口コミで広まるようで、客足は一向に引かないようです。
私も5年ぐらい前に友人からの口コミで存在を知りました。
私は普段週末に行くのですが、週末は特に混むので早めの時間に行くのがベターです。
今日もどうしても食べたくなって、17時ぐらいに行ってきました。
「栄寿司」の特徴は、なんといってもマグロで、「マグロのにぎり」が看板商品になっています。
大トロ、中トロ、赤身とあるのですが、私はトロが苦手なので、いつも赤身を食べるのですが、臭みが無いうえにしっかりした味で、いつもこれを食べると栄寿司に来たな、という実感が湧きます。
他にも私が良く食べる「ホタテ」とか「カンパチ」とか、おいしいネタはたくさんあるのですが、寿司屋の性質上、その日によっておいしいものが多少異なります。
ただ、経験上ここのウニはあまりお勧めしません(笑)。
「栄寿司」のもう一つの特徴は、そのアットホームな雰囲気です。
一軒家を改良したような建物で、1階がカウンターと座敷、2階が主として団体用座敷になっているのですが、座敷のテーブルの間隔が狭いうえに、店員の声を含めて賑やかなので、客観的に見たらお客さんみんなが団体客のような感じに見えるかも知れません。
店員のおばちゃん達は皆長く勤めているようで、気のいい人達ばかりです。
そういう意味では、「接待」や「初デート」には全く向かないのですが、仲間内で食べに行ったり、気を使わないデートには使えるかも知れません。
私も過去何人か社員を連れて行ったことがあります。
海外出張に行っていても、日本食が恋しくなるときは、大概栄寿司を食べたくなります。よって、海外出張の後の週末に栄寿司に行く確率は結構高いかも知れません(笑)。
さて、お値段の方ですが、今までの経験上、お腹いっぱい食べて一人当たり4,000円〜5,000円ぐらいです。
チンギスハン
November 19, 2006
東京に住んでいる妹の家で夕食を一緒に食べていたら、TVで「チンギスハン」についてのスペシャル番組が放映されていました。
「チンギスハン」は現在日経新聞朝刊においても連載されており、一応目は通しているのですが、部族や登場人物の名前が覚え切れずに、どうも断片的になってしまいがちだったので、良い機会だと思って見ていました。
これまで「チンギスハン」についての私のイメージは、「聡明者」でありながら「残虐者」でもあり、組織運営の特徴は「有能な人材の登用」と「厳しい掟の徹底」といった感じでしたが、新たな一面を見ることができました。
まずは情報伝達の手法です。
長距離間の情報伝達を早めるために、早馬の駅伝制度みたいなものがあり、時速140kmで情報が伝播されていたそうです。
ちなみに、日本でも武田信玄が同じような早馬を持っていましたが、モンゴル帝国より300年も後にもかかわらず時速80kmだったと言われていますから、いかにモンゴル帝国のものが優れていたかが分かると思います。
もう一つ、狼煙が重要な情報伝達手段であり、10kmぐらいの間隔で狼煙を繋ぐことで、緊急時や出陣の告知をしていたとのこと。
また、モンゴル帝国のシルクロードを中心に設けられた「ジャムチ」と呼ばれる中継点(旅籠や駅みたいなもの)をたくさんつくり、そこを立ち寄る人々に様々なサービスが提供されていたほか、重要な情報集約の拠点となっていたようです。
他にもヨーロッパで紙幣が使われるようになる200年も前に紙幣の概念を取り入れていたり、今でいうパスポートや通行手形のようなものを配っていた実績があり、野蛮国ではなく相当進んでいたことに驚きました。
もう一つ驚いたのが、「チンギスハン」死後800年になりますが、彼の血を受け継ぐ子孫が1,600万人いるということ(これはオックスフォード大学におけるDNA解析の結果なので信憑性があり、世界で最も多いそうです)。
彼自身も精力旺盛だったようですが、一族の子孫は「黄金氏族」と呼ばれ高い地位にあったため、これらと血縁関係を結ぶ人達も増え、更に広がったようです。
モンゴル帝国は、「史上最大の帝国」で世界で歴史上最も領土が大きかったと言われますが、土地のみならず世界で最も子孫を残すという偉業も達成したのです。
スポンサーが「Panasonic」だったからか、モンゴル帝国を初めてユビキタスを意識した帝国と説明しており、「ユビキタス」とつなげようという意図のようでしたが、個人的には結構無理があるなと思いました。
「チンギスハン」は現在日経新聞朝刊においても連載されており、一応目は通しているのですが、部族や登場人物の名前が覚え切れずに、どうも断片的になってしまいがちだったので、良い機会だと思って見ていました。
これまで「チンギスハン」についての私のイメージは、「聡明者」でありながら「残虐者」でもあり、組織運営の特徴は「有能な人材の登用」と「厳しい掟の徹底」といった感じでしたが、新たな一面を見ることができました。
まずは情報伝達の手法です。
長距離間の情報伝達を早めるために、早馬の駅伝制度みたいなものがあり、時速140kmで情報が伝播されていたそうです。
ちなみに、日本でも武田信玄が同じような早馬を持っていましたが、モンゴル帝国より300年も後にもかかわらず時速80kmだったと言われていますから、いかにモンゴル帝国のものが優れていたかが分かると思います。
もう一つ、狼煙が重要な情報伝達手段であり、10kmぐらいの間隔で狼煙を繋ぐことで、緊急時や出陣の告知をしていたとのこと。
また、モンゴル帝国のシルクロードを中心に設けられた「ジャムチ」と呼ばれる中継点(旅籠や駅みたいなもの)をたくさんつくり、そこを立ち寄る人々に様々なサービスが提供されていたほか、重要な情報集約の拠点となっていたようです。
他にもヨーロッパで紙幣が使われるようになる200年も前に紙幣の概念を取り入れていたり、今でいうパスポートや通行手形のようなものを配っていた実績があり、野蛮国ではなく相当進んでいたことに驚きました。
もう一つ驚いたのが、「チンギスハン」死後800年になりますが、彼の血を受け継ぐ子孫が1,600万人いるということ(これはオックスフォード大学におけるDNA解析の結果なので信憑性があり、世界で最も多いそうです)。
彼自身も精力旺盛だったようですが、一族の子孫は「黄金氏族」と呼ばれ高い地位にあったため、これらと血縁関係を結ぶ人達も増え、更に広がったようです。
モンゴル帝国は、「史上最大の帝国」で世界で歴史上最も領土が大きかったと言われますが、土地のみならず世界で最も子孫を残すという偉業も達成したのです。
スポンサーが「Panasonic」だったからか、モンゴル帝国を初めてユビキタスを意識した帝国と説明しており、「ユビキタス」とつなげようという意図のようでしたが、個人的には結構無理があるなと思いました。
アイドル
November 18, 2006
今日はお恥ずかしながら、思い切って高校時代のミーハーな話を・・・。
一昨日の『hirog』で触れたとおり、私は昔中森明菜のファンでした。
当時はレコード(今はCDですが(汗))をすべて買っていたし、彼女が出るTVやラジオはほとんど聞いていました。
彼女がDJをしていたラジオ番組で「イラスト大賞」なるコンテストがあり、そこへ「赤ちゃん」の絵を描いて送ったら大賞をもらったことがあります。
また、ラジオのランキング番組に彼女がゲスト出演していたとき、彼女が「今付けている指輪をプレゼントします」と言っていたので応募したら、数千通の応募の中から見事私が当選したこともあります。(その肝心の指輪はどこかに行ってしまったのですが・・・)
中森明菜に関するトピックはもう一つあります。
私が初めて東京に遊びに来たのは、忘れもしない高校2年のときなのですが、一緒に来た友達と1日だけお互いフリー行動の日を入れていました。
友達は、当時流行していた「夕焼けニャンニャン」のTVでヒットした「SAILORS」という洋服のショップへ、私はそれも芸が無いなと思い、どうしようかと考えた挙句、中森明菜の生まれた風景を見に行こうと思い立ちました。
といったものの、知っているのは出身が清瀬市という事実だけ。
地図で清瀬市というのを調べると、東京の西の方にあることが分かり、電車でトコトコ清瀬市までやってきました。
人っ気の少ない駅を降り立ち、東京にもこういう田舎ってあるんだ、と妙な感慨にひたりながら駅前を歩いていると、お店の前に店員が立っていたので思い切って、「中森明菜のファンで地方から出てきたんですけど、中森家を知っていますか?」と聞いてみました。
その人はちょっと驚いたような顔をした後「何しに行くの?」と聞かれたので、「ただ生まれたところがどんなところか見に来ただけです」と答えました。
その人は、「あっちの方だと聞いてるけどな」と指をさしてくれたので、そちらの方をブラブラ歩いてみました。
しばらく歩いていくと、何とそこには「中森」と表札があったのです。
しかも、そこの塀にはたくさんの落書きがしてありました。
夜に合流した友達にその日の出来事を話したら相当驚いていて、「その行動力に私への見方が変わった」と言っていました(笑)。調子にのって他の友達にも話したら「それって危なくない?」と言われてしまいました。やはり人により見方は異なるものです・・・。
高校時代のもう一人のアイドル。
高校時代の後半には「岡田有希子」という歌手のファンでした。
私の友人がたまたま「親衛隊長」(当時はアイドルを守るという名目で、親衛隊なる組織があり、事務所も彼らの存在を認めていたのですが、実際には自分達が常にアイドルの傍にいたいというだけの人々)をしていたので、私はファンクラブにも入っていなかったにもかかわらず、彼女がコンサートなどでやってくるといつも一緒に行動をさせてくれました。
なので彼女のサインは10枚ぐらい持っているし、新幹線の移動中などに二人きりで話をしたりしました。肩を組んで撮った写真もあります。
彼女は、実際に会っていても、とても素直で頭の良い純情な子だったのですが、非常に残念なことに、その後事務所のビルの屋上から飛び降り自殺してしまいました。芸能界というところが彼女とは合わなかったのだと思っています。
この事件は、当時メディアにより大々的に報道されたので記憶がある方も多いかも知れませんが、私自身相当なショックでした。
現在は、自分でも信じられないほどアイドルには興味が無くなってしまい、「好きなタレントは?」と聞かれるのが困るぐらいなのですが、そんな私にもこんな時代がありました。
一昨日の『hirog』で触れたとおり、私は昔中森明菜のファンでした。
当時はレコード(今はCDですが(汗))をすべて買っていたし、彼女が出るTVやラジオはほとんど聞いていました。
彼女がDJをしていたラジオ番組で「イラスト大賞」なるコンテストがあり、そこへ「赤ちゃん」の絵を描いて送ったら大賞をもらったことがあります。
また、ラジオのランキング番組に彼女がゲスト出演していたとき、彼女が「今付けている指輪をプレゼントします」と言っていたので応募したら、数千通の応募の中から見事私が当選したこともあります。(その肝心の指輪はどこかに行ってしまったのですが・・・)
中森明菜に関するトピックはもう一つあります。
私が初めて東京に遊びに来たのは、忘れもしない高校2年のときなのですが、一緒に来た友達と1日だけお互いフリー行動の日を入れていました。
友達は、当時流行していた「夕焼けニャンニャン」のTVでヒットした「SAILORS」という洋服のショップへ、私はそれも芸が無いなと思い、どうしようかと考えた挙句、中森明菜の生まれた風景を見に行こうと思い立ちました。
といったものの、知っているのは出身が清瀬市という事実だけ。
地図で清瀬市というのを調べると、東京の西の方にあることが分かり、電車でトコトコ清瀬市までやってきました。
人っ気の少ない駅を降り立ち、東京にもこういう田舎ってあるんだ、と妙な感慨にひたりながら駅前を歩いていると、お店の前に店員が立っていたので思い切って、「中森明菜のファンで地方から出てきたんですけど、中森家を知っていますか?」と聞いてみました。
その人はちょっと驚いたような顔をした後「何しに行くの?」と聞かれたので、「ただ生まれたところがどんなところか見に来ただけです」と答えました。
その人は、「あっちの方だと聞いてるけどな」と指をさしてくれたので、そちらの方をブラブラ歩いてみました。
しばらく歩いていくと、何とそこには「中森」と表札があったのです。
しかも、そこの塀にはたくさんの落書きがしてありました。
夜に合流した友達にその日の出来事を話したら相当驚いていて、「その行動力に私への見方が変わった」と言っていました(笑)。調子にのって他の友達にも話したら「それって危なくない?」と言われてしまいました。やはり人により見方は異なるものです・・・。
高校時代のもう一人のアイドル。
高校時代の後半には「岡田有希子」という歌手のファンでした。
私の友人がたまたま「親衛隊長」(当時はアイドルを守るという名目で、親衛隊なる組織があり、事務所も彼らの存在を認めていたのですが、実際には自分達が常にアイドルの傍にいたいというだけの人々)をしていたので、私はファンクラブにも入っていなかったにもかかわらず、彼女がコンサートなどでやってくるといつも一緒に行動をさせてくれました。
なので彼女のサインは10枚ぐらい持っているし、新幹線の移動中などに二人きりで話をしたりしました。肩を組んで撮った写真もあります。
彼女は、実際に会っていても、とても素直で頭の良い純情な子だったのですが、非常に残念なことに、その後事務所のビルの屋上から飛び降り自殺してしまいました。芸能界というところが彼女とは合わなかったのだと思っています。
この事件は、当時メディアにより大々的に報道されたので記憶がある方も多いかも知れませんが、私自身相当なショックでした。
現在は、自分でも信じられないほどアイドルには興味が無くなってしまい、「好きなタレントは?」と聞かれるのが困るぐらいなのですが、そんな私にもこんな時代がありました。
玄米物語
November 17, 2006
お昼にコンビニに昼食を買いに行ったら、うちの総務の女性と一緒になりました。
その子は他の女性スタッフのためにお弁当を買っていたのですが、レジで玄米を頼んでいました。
なんと、そのコンビニはお弁当のご飯部分が入っておらず、そこに炊きたて(!?)の「白米」か「玄米」かを選べるのです。
ご飯だけ購入時に入れてくれるという気の利いたサービスも去ることながら、健康ブームの流れなのか、と妙に感心しながら、ふと昔のことを思い出しました。
私は小さい頃、実はご飯があまり好きではありませんでした。
なぜかというと玄米だったからです。
それも健康のため、ということではなくて経済上の理由だったのだと思います。
その証拠に、我が家では祖父母には白米を出していました。健康にいいのであれば、お年寄りこそ玄米を食べるべきだからです。
私はいつも祖父母がうらやましくて、自分も白米だったらご飯が好きになるかも知れないのにと思っていました。
玄米は家のご飯だけではありませんでした。
幼稚園はお弁当持参なのですが、そのお弁当のご飯も玄米だったのです。
周りのみんなが白米だったので、恥ずかしいやおいしくないわで、お弁当の時間が苦痛だったことを覚えています。
玄米は、稲の殻をとった後の状態で、精白されていない米なので、固くて喉につっかかるのです。
ただ、白米よりビタミンや食物繊維に富んでいるので、最近では健康食品として見直されているようです。
特に、ダイエット、便秘、血糖値抑制などに効果があるとか・・・。
久しぶりに玄米の味を食したくなってきました。
近いうちに玄米ご飯を選択してみたいと思います。
子供の頃と違っておいしく感じるかどうか楽しみです。
その子は他の女性スタッフのためにお弁当を買っていたのですが、レジで玄米を頼んでいました。
なんと、そのコンビニはお弁当のご飯部分が入っておらず、そこに炊きたて(!?)の「白米」か「玄米」かを選べるのです。
ご飯だけ購入時に入れてくれるという気の利いたサービスも去ることながら、健康ブームの流れなのか、と妙に感心しながら、ふと昔のことを思い出しました。
私は小さい頃、実はご飯があまり好きではありませんでした。
なぜかというと玄米だったからです。
それも健康のため、ということではなくて経済上の理由だったのだと思います。
その証拠に、我が家では祖父母には白米を出していました。健康にいいのであれば、お年寄りこそ玄米を食べるべきだからです。
私はいつも祖父母がうらやましくて、自分も白米だったらご飯が好きになるかも知れないのにと思っていました。
玄米は家のご飯だけではありませんでした。
幼稚園はお弁当持参なのですが、そのお弁当のご飯も玄米だったのです。
周りのみんなが白米だったので、恥ずかしいやおいしくないわで、お弁当の時間が苦痛だったことを覚えています。
玄米は、稲の殻をとった後の状態で、精白されていない米なので、固くて喉につっかかるのです。
ただ、白米よりビタミンや食物繊維に富んでいるので、最近では健康食品として見直されているようです。
特に、ダイエット、便秘、血糖値抑制などに効果があるとか・・・。
久しぶりに玄米の味を食したくなってきました。
近いうちに玄米ご飯を選択してみたいと思います。
子供の頃と違っておいしく感じるかどうか楽しみです。
ミス一高
November 16, 2006
昨日のブログ、読み返してみたら、かなり仕事モードに入っていたようですいません・・・。
さて、秋と言えば学園祭のシーズンでもありますね。
学園祭というと、ミスコンが定番ですが、私の高校でも毎年ミスコンが恒例となっていました。
と言っても私が通っていた高校は男子校なので、いわゆる女装大会です。
私も女装すると綺麗だという評判だったのですが(笑)、そういうレベルを超えて、私の同級生で3年連続で「ミスグランプリ」に輝いた人が居ました。
これは我々の高校の90年の歴史でも初の快挙で彼は一躍有名になりました。
うちの高校だけでなく、歴代ミスの中でもずば抜けて綺麗だということで評判になり、地元のあちこちの高校から彼を見るために集まってきて、会場である体育館は超満員で熱気で倒れた人が出るぐらいでした。
彼の名前は小林と言って、放送部に所属していたのですが、学園祭期間中は、なぜか私の所属していたサッカー部と放送部共同で喫茶店を運営しており、小林見
たさに喫茶店は大繁盛でした。
当時は中森明菜が大人気の時代だったのですが、小林は中森明菜に顔が似ていて、ミスコンではいつも中森明菜の歌を歌っていました(もちろんイメージを崩さな
いために口パクでしたが・・・)
その後小林とは友達になったので、今こうやって話すのは照れくさいのですが、私は当時中森明菜のファンだったこともあり、小林はかなり綺麗な顔をしていると思っていました。
変な話ホモってこういう感覚なのだろうか、と一時自己嫌悪に陥ったりもしましたが、よく考えると小林という男ではなく、女性らしさにドキドキしていたので正確には違うはずと自分に言い聞かせていた瞬間もありました(笑)。
ちなみに、高校の卒業アルバムには、彼の写真はミスの格好で載っています。
さて、秋と言えば学園祭のシーズンでもありますね。
学園祭というと、ミスコンが定番ですが、私の高校でも毎年ミスコンが恒例となっていました。
と言っても私が通っていた高校は男子校なので、いわゆる女装大会です。
私も女装すると綺麗だという評判だったのですが(笑)、そういうレベルを超えて、私の同級生で3年連続で「ミスグランプリ」に輝いた人が居ました。
これは我々の高校の90年の歴史でも初の快挙で彼は一躍有名になりました。
うちの高校だけでなく、歴代ミスの中でもずば抜けて綺麗だということで評判になり、地元のあちこちの高校から彼を見るために集まってきて、会場である体育館は超満員で熱気で倒れた人が出るぐらいでした。
彼の名前は小林と言って、放送部に所属していたのですが、学園祭期間中は、なぜか私の所属していたサッカー部と放送部共同で喫茶店を運営しており、小林見
たさに喫茶店は大繁盛でした。
当時は中森明菜が大人気の時代だったのですが、小林は中森明菜に顔が似ていて、ミスコンではいつも中森明菜の歌を歌っていました(もちろんイメージを崩さな
いために口パクでしたが・・・)
その後小林とは友達になったので、今こうやって話すのは照れくさいのですが、私は当時中森明菜のファンだったこともあり、小林はかなり綺麗な顔をしていると思っていました。
変な話ホモってこういう感覚なのだろうか、と一時自己嫌悪に陥ったりもしましたが、よく考えると小林という男ではなく、女性らしさにドキドキしていたので正確には違うはずと自分に言い聞かせていた瞬間もありました(笑)。
ちなみに、高校の卒業アルバムには、彼の写真はミスの格好で載っています。
中間決算
November 15, 2006
13日に中間決算を発表させていただきました。
概要はリリースの通りなのですが、この場を借りて若干コメントをさせていただきたいと思います。(会計的な話ですいません)
数字については、既に7日に修正発表をさせていただきましたが、単体・連結ともに当該中間期の経常利益額が当初予想を上回る形となりました。
モバイルコンテンツ業界では下方修正をしている企業が多いので、まずはこの半期については相対的には良かったと言えると思います。
ビジネスの方は概ね予想した範囲内で推移しており、上半期に発生を予定していた投資やコストの後ろ倒し、及びコストコントロール効果などが、利益が増加する要因になりました。
通期の予想については、まだ不確定要素も多いので、期首予想数字そのままとしています。
単体(fonfunのみ)の売上が前年度同期に比較して急増していますが、これは既存事業の業績拡大と本年度よりエンコード事業やリアル営業販売事業を本体で行っているためです。
先行投資もあるので営業利益は前期比より低くなっていますが、当期利益は大幅な増加となりました。
連結(fonfunグループ)も単体と同じような傾向になっていますが、単体よりも利益が少ないのは新規事業への投資によるものです。
また、連結においてはグループ会社で『hirog』でも何度か紹介しているアリコシステムが今後の業容拡大のために増資による大幅な資金調達を行ったため、それによる持分変動差益を計上しています。
総じて、この半期は昨年度にM&Aしたグループ各社の事業再編及びグループ連携と管理体制の強化を中心に行っており、新規のM&Aは控えていました。
以前の『hirog』でM&Aはその後が大変だと書いたことがありますが、まさにそれを実践しているという感じです。
下期は来期以降に備えた体制整備と新規事業の研究開発に力を入れていきたいと考えています。
なお、中間決算のアナリスト向け説明会は11月29日に開催させていただく予定です。
概要はリリースの通りなのですが、この場を借りて若干コメントをさせていただきたいと思います。(会計的な話ですいません)
数字については、既に7日に修正発表をさせていただきましたが、単体・連結ともに当該中間期の経常利益額が当初予想を上回る形となりました。
モバイルコンテンツ業界では下方修正をしている企業が多いので、まずはこの半期については相対的には良かったと言えると思います。
ビジネスの方は概ね予想した範囲内で推移しており、上半期に発生を予定していた投資やコストの後ろ倒し、及びコストコントロール効果などが、利益が増加する要因になりました。
通期の予想については、まだ不確定要素も多いので、期首予想数字そのままとしています。
単体(fonfunのみ)の売上が前年度同期に比較して急増していますが、これは既存事業の業績拡大と本年度よりエンコード事業やリアル営業販売事業を本体で行っているためです。
先行投資もあるので営業利益は前期比より低くなっていますが、当期利益は大幅な増加となりました。
連結(fonfunグループ)も単体と同じような傾向になっていますが、単体よりも利益が少ないのは新規事業への投資によるものです。
また、連結においてはグループ会社で『hirog』でも何度か紹介しているアリコシステムが今後の業容拡大のために増資による大幅な資金調達を行ったため、それによる持分変動差益を計上しています。
総じて、この半期は昨年度にM&Aしたグループ各社の事業再編及びグループ連携と管理体制の強化を中心に行っており、新規のM&Aは控えていました。
以前の『hirog』でM&Aはその後が大変だと書いたことがありますが、まさにそれを実践しているという感じです。
下期は来期以降に備えた体制整備と新規事業の研究開発に力を入れていきたいと考えています。
なお、中間決算のアナリスト向け説明会は11月29日に開催させていただく予定です。
潜在ゴルファー
November 14, 2006
最近、ビジネスパートナーや取引先の方々にゴルフに誘われる機会が増えてきました。
誘われたときには決まって「昔はちょっとやっていたのですが、最近は全くしていないので、足手まといになるのでご遠慮します」と答えています。
正確にはゴルフ練習場に数えるぐらい、ゴルフコースには2回しか出たことがありません。
ただ、自分で言うのも何ですが、ゴルフのセンスはあるかも知れません。
その証拠は2つ。
1つ目は、ミサワホームの新入社員全員で行った拘束旅行(時効ですよね?)で、パターゴルフで優勝したこと。
2つ目は、初めてコースに出たときのスコアが115であったこと。
もしかして、と調子に乗って2回目に出たコースで120とスコアを後退させてから、一度もコースに出ていません(笑)。
昔はゴルフは接待専門という意識が強く、自分が大人になる頃にはそういう時代では無くなっているだろうと高をくくっていたのですが、その後ゴルフが若い人達の間で流行し、現在では誰でも出来るスポーツになってしまいました。
私は初めて会った方と意気投合して話し込んでしまうことも度々なのですが、その流れで相手の方に今度ゴルフでも行きましょう、と言われてしまうと、そこで一瞬流れが止まってしまうことがあります。
ゴルフは親交を深める意味で、良いイベントだと思います。仕事以外の交流と言うと夜の付き合いが多い中で昼間に出来るし、減少傾向とは言え未だ1000万人以
上のゴルフ人口がいて、年齢や体力にあまり関係無いというのもメリットだと思います。
我々携帯業界でもいくつかのゴルフ大会が行われているようです。
自然とお日様の下で、のんびりとプレイしながら、言葉を交わしたり、プレイが終わった後にビールを飲みながら歓談すると、親しみが湧いてきて、色々な話ができるのはゴルフならではかも知れません。
飲みの席と違って、覚えてない、ということもないでしょうし(笑)。
人脈を広げるのも社長の仕事の一つだと考えて、来年は少し時間をつくって、練習場へでも通ってみようかと思います。
悔しいですが、以前『hirog』で紹介したシングルプレーヤー友人Kの指導の元で・・・(笑)。
誘われたときには決まって「昔はちょっとやっていたのですが、最近は全くしていないので、足手まといになるのでご遠慮します」と答えています。
正確にはゴルフ練習場に数えるぐらい、ゴルフコースには2回しか出たことがありません。
ただ、自分で言うのも何ですが、ゴルフのセンスはあるかも知れません。
その証拠は2つ。
1つ目は、ミサワホームの新入社員全員で行った拘束旅行(時効ですよね?)で、パターゴルフで優勝したこと。
2つ目は、初めてコースに出たときのスコアが115であったこと。
もしかして、と調子に乗って2回目に出たコースで120とスコアを後退させてから、一度もコースに出ていません(笑)。
昔はゴルフは接待専門という意識が強く、自分が大人になる頃にはそういう時代では無くなっているだろうと高をくくっていたのですが、その後ゴルフが若い人達の間で流行し、現在では誰でも出来るスポーツになってしまいました。
私は初めて会った方と意気投合して話し込んでしまうことも度々なのですが、その流れで相手の方に今度ゴルフでも行きましょう、と言われてしまうと、そこで一瞬流れが止まってしまうことがあります。
ゴルフは親交を深める意味で、良いイベントだと思います。仕事以外の交流と言うと夜の付き合いが多い中で昼間に出来るし、減少傾向とは言え未だ1000万人以
上のゴルフ人口がいて、年齢や体力にあまり関係無いというのもメリットだと思います。
我々携帯業界でもいくつかのゴルフ大会が行われているようです。
自然とお日様の下で、のんびりとプレイしながら、言葉を交わしたり、プレイが終わった後にビールを飲みながら歓談すると、親しみが湧いてきて、色々な話ができるのはゴルフならではかも知れません。
飲みの席と違って、覚えてない、ということもないでしょうし(笑)。
人脈を広げるのも社長の仕事の一つだと考えて、来年は少し時間をつくって、練習場へでも通ってみようかと思います。
悔しいですが、以前『hirog』で紹介したシングルプレーヤー友人Kの指導の元で・・・(笑)。
日本の携帯事情
November 13, 2006
私はいつも海外出張から帰国すると成田空港で普段買わない雑誌を買って読む習慣があるのですが、「NEWS WEEK」に「携帯後進国ニッポン」と題した記事が書かれていました。
そこには日本の特殊事情として
・通信キャリアと端末メーカーのバンドル
・高機能端末志向
・世界最高の携帯料金
・特定のキャリア・メーカー志向
などが挙げられています。
贔屓にしているキャリアやメーカーがあったり、ナンバーポータビリティの導入が遅れていたため、結果サービスや端末の選択肢が狭くなっているのです。
日本では遅れて導入された「SIMカード」も、ロックがかけることで顧客囲い込みを行っているケースが多く、ほとんどSIMカードの意味をなしていないように思います。
中国ではプリペイド式SIMカードが7割以上を占めており、ユーザーはいつでも気軽に端末を替えることができます。
日本においても、一時期プリペイド式携帯電話が登場しましたが、犯罪防止のための法律の施行で、現在では実質プリペイド式はかなり難しいのが実情です。
日本では通話料のマージンバック制度があるため、端末自体は安く買えるのですが、通話料が高く、付加サービスの利用も多いため、携帯にかけるコストが大きく、2位の米国より7割も高いそうです。
うちのK取締役も海外通話も多いからか、月額料金は5万円にのぼるときもあるとか・・・。
今回フィリピンでご一緒した日本で格安国際電話を提供している会社の社長さんも、とにかく日本は通信料が高いとおっしゃっていました。
同社では、通信料の安い米国のキャリアを通じて提供しているそうです。
世界的にこれだけ高いにもかかわらず、その割には日本の通信キャリアの営業利益率が他の国に比較して大きくないのはとても不思議で、どこか構造的に問題が
あるように思います。
「ユーザー本意」、色んな意味で日本はこの部分が欠けていると思います。
fonfunではMVNOの調査も行っていますが、これを検討しているのも、他ならぬ私自身がそれを強く感じていることがあります。
料金を安くしても利益が出せるサービスというのに、いつかチャレンジしてみたいと思っています。
そんなことを考えていたら、たまたま先程スタッフKさんから別の角度でユーザー本意な情報サービスの提案のメールが来ていました(笑)。
こういったものは是非前向きに検討したいと思います。
そこには日本の特殊事情として
・通信キャリアと端末メーカーのバンドル
・高機能端末志向
・世界最高の携帯料金
・特定のキャリア・メーカー志向
などが挙げられています。
贔屓にしているキャリアやメーカーがあったり、ナンバーポータビリティの導入が遅れていたため、結果サービスや端末の選択肢が狭くなっているのです。
日本では遅れて導入された「SIMカード」も、ロックがかけることで顧客囲い込みを行っているケースが多く、ほとんどSIMカードの意味をなしていないように思います。
中国ではプリペイド式SIMカードが7割以上を占めており、ユーザーはいつでも気軽に端末を替えることができます。
日本においても、一時期プリペイド式携帯電話が登場しましたが、犯罪防止のための法律の施行で、現在では実質プリペイド式はかなり難しいのが実情です。
日本では通話料のマージンバック制度があるため、端末自体は安く買えるのですが、通話料が高く、付加サービスの利用も多いため、携帯にかけるコストが大きく、2位の米国より7割も高いそうです。
うちのK取締役も海外通話も多いからか、月額料金は5万円にのぼるときもあるとか・・・。
今回フィリピンでご一緒した日本で格安国際電話を提供している会社の社長さんも、とにかく日本は通信料が高いとおっしゃっていました。
同社では、通信料の安い米国のキャリアを通じて提供しているそうです。
世界的にこれだけ高いにもかかわらず、その割には日本の通信キャリアの営業利益率が他の国に比較して大きくないのはとても不思議で、どこか構造的に問題が
あるように思います。
「ユーザー本意」、色んな意味で日本はこの部分が欠けていると思います。
fonfunではMVNOの調査も行っていますが、これを検討しているのも、他ならぬ私自身がそれを強く感じていることがあります。
料金を安くしても利益が出せるサービスというのに、いつかチャレンジしてみたいと思っています。
そんなことを考えていたら、たまたま先程スタッフKさんから別の角度でユーザー本意な情報サービスの提案のメールが来ていました(笑)。
こういったものは是非前向きに検討したいと思います。
フィリピン(その2)
November 12, 2006
先ほどフィリピンより帰国しました。
フライト時間は4時間ぐらいなので、香港、台湾、広州などに行くイメージに近いです。時差は中国と一緒で1時間戻る感じです。
フィリピンに行く飛行機では、JAL便だったにもかかわらず、日本人が少ないイメージがあったのですが、それもそのはず登録されている日本人は2,500人ぐらいしかいないそうです。
フィリピンの10%ぐらいは、距離的にも近い福建省を中心とした中国からの華僑がおり、彼らがビジネスを活性化させたようです。
よって、今でも産業界で活躍している人達には華僑の人々が少なくありません。
政府や企業の幹部の方から聞いた話では、フィリピン人の良いところは、明朗かつ従順で、単調な仕事であっても文句を言わずに根気強くできるとのこと。
この辺は上昇志向が強く、転職を短期間で繰り返す中国人とはだいぶ異なると思いました。
ただ、7,000もの島があるので、方言や気風もそれぞれなので、一緒くたに考えるのは危険だと思いました。(地元の人自身が全体のコンセンサスを合わせるのは無理だと言っているぐらいです)
人口は8,700万人で、携帯ユーザーは3,000万人程度。その割には街中で携帯をいじっている人は少ないと感じました。
SMSが主体でコンテンツはこれからといった感じです(これにはキャリア手数料が大きいということもあるようです)。
現在注目されているのがオンラインゲーム市場です。
マニラには8,000店ほどのネットカフェがあり、中を覗いて見ると確かに若い人達が熱心にゲームをやっていました。
日本のオンラインゲーム会社の幹部の方々も一緒だったのですが、彼らの話によると米国のオンラインゲームをやっているとか。
つまりフィリピンでは、ライセンスが取れない、もしくは事業者がいないので、米国のサーバーに直接つないでやっている人達が多いということ。
確かに皆英語が分かるので、それでもプレイすること自体に問題は無いのですが、これではフィリピンの産業発展にはつながらないので、大きな課題の一つだと思いました。(同様にコミュニケーションサイトはフレンドスターがディファクト)
人件費を中国と比較すると、新卒は同じぐらいですが、ベテランになるほど安いようです。
英語がOKなので、海外企業のコールセンター事業が急成長しており、政府もこれらを後押ししていくようです。
欧米系の企業にとっては、インドと同様魅力の地かも知れません。
とにかく、フィリピンへ行って感じたのは、なんとなく「もったいない」ということ。国民性も悪くなく、英語も話せるのに、それが生かせていないのです。
政府がもっと「教育」と「PR」に力を入れていけば、今後発展余地が大きいのではないかと思いました。
ただ、ホテルに入るにも、ビル(百貨店でも)に入るにもセキュリティチェックを受けるのがちょっと面倒でしたし、
政治リスクは当面避けられなさそうです・・・。
フライト時間は4時間ぐらいなので、香港、台湾、広州などに行くイメージに近いです。時差は中国と一緒で1時間戻る感じです。
フィリピンに行く飛行機では、JAL便だったにもかかわらず、日本人が少ないイメージがあったのですが、それもそのはず登録されている日本人は2,500人ぐらいしかいないそうです。
フィリピンの10%ぐらいは、距離的にも近い福建省を中心とした中国からの華僑がおり、彼らがビジネスを活性化させたようです。
よって、今でも産業界で活躍している人達には華僑の人々が少なくありません。
政府や企業の幹部の方から聞いた話では、フィリピン人の良いところは、明朗かつ従順で、単調な仕事であっても文句を言わずに根気強くできるとのこと。
この辺は上昇志向が強く、転職を短期間で繰り返す中国人とはだいぶ異なると思いました。
ただ、7,000もの島があるので、方言や気風もそれぞれなので、一緒くたに考えるのは危険だと思いました。(地元の人自身が全体のコンセンサスを合わせるのは無理だと言っているぐらいです)
人口は8,700万人で、携帯ユーザーは3,000万人程度。その割には街中で携帯をいじっている人は少ないと感じました。
SMSが主体でコンテンツはこれからといった感じです(これにはキャリア手数料が大きいということもあるようです)。
現在注目されているのがオンラインゲーム市場です。
マニラには8,000店ほどのネットカフェがあり、中を覗いて見ると確かに若い人達が熱心にゲームをやっていました。
日本のオンラインゲーム会社の幹部の方々も一緒だったのですが、彼らの話によると米国のオンラインゲームをやっているとか。
つまりフィリピンでは、ライセンスが取れない、もしくは事業者がいないので、米国のサーバーに直接つないでやっている人達が多いということ。
確かに皆英語が分かるので、それでもプレイすること自体に問題は無いのですが、これではフィリピンの産業発展にはつながらないので、大きな課題の一つだと思いました。(同様にコミュニケーションサイトはフレンドスターがディファクト)
人件費を中国と比較すると、新卒は同じぐらいですが、ベテランになるほど安いようです。
英語がOKなので、海外企業のコールセンター事業が急成長しており、政府もこれらを後押ししていくようです。
欧米系の企業にとっては、インドと同様魅力の地かも知れません。
とにかく、フィリピンへ行って感じたのは、なんとなく「もったいない」ということ。国民性も悪くなく、英語も話せるのに、それが生かせていないのです。
政府がもっと「教育」と「PR」に力を入れていけば、今後発展余地が大きいのではないかと思いました。
ただ、ホテルに入るにも、ビル(百貨店でも)に入るにもセキュリティチェックを受けるのがちょっと面倒でしたし、
政治リスクは当面避けられなさそうです・・・。
フィリピン(その1)
November 12, 2006
hirog更新が遅れました。
遅れるとすぐに出張だとバレてしまいますね(笑)。
今はフィリピンに来ています。
フィリピンを訪問するのは初めてで、今までは失礼ながら「バナナ」ぐらいのイメージしか無かったのですが、一番有名なのは「マンゴー」だそうです。
それはともかくフィリピンに降り立って、思ったのはまず蒸し暑いこと。熱帯性気候のため、今のシーズンでも30度ぐらいあって湿度も高いのです。
街の中に入っていくと、まず目にするのが乗り合いバスの役割を果たしている乗り物。これは元々米軍のジープを改造して、大人数が乗れるようにしたものらしいのですが、行き先とか書いていないので、どうやって乗るのかがとても疑問でした。
街の印象は、とにかく色んな形やデザインの建物があり、人々も容貌や体型が様々であること。
中世の建物などがたくさん残っているのですが、経済的に豊かではないので、歴史や文化保存のために資金が回らないとか。
街中は圧倒的に英語の看板が多いので、アジアに来ていることを忘れてしまうぐらいです。
それもフィリピンの歴史と大きく関係しているようです。
16世紀中頃にスペインがフィリピンを征服して以来、スペインの植民地となり、19世紀末に米国がスペインに勝利して独立宣言をしたものの、その後米国の植民地となり、第二次世界大戦中には一時日本に占領されるなど、島国ならではの侵略の歴史を持っています。
このため、スペイン系、中国系の人々が混在しており、アジアでは珍しくキリスト教(カトリック)の国なのです。
フィリピンの9割以上が英語を話せるらしく、この英語認識率はアジアでもNo.1だとか。
ただ、これからはフィリピンらしさを出していくために、現地の言葉であるタガログ語に統一していこうという動きがあるそうです。
20世紀中盤に米国から独立したものの、今度はマルコス大統領による独裁政権となりました。
1980年代に起こったアキノ上院議員暗殺とマルコス政権崩壊は我々の記憶にも新しく、当時の日本のメディアでも大きく取り上げられていたのを覚えています。
フィリピンの第一印象は、タイとかベトナムに近いイメージ、物価とかは中国に近い感じです。
フィリピンは約7,000もの島々から成るらしいのですが、その中でもっとも有名なのは、「セブ島」ではないかと思います。
実は私もそうだったのですが、リゾート地として有名な「セブ島」がフィリピンの島の1つであることは意外と知られていないようです。
フィリピンというと、治安が悪い、インフラが整備されていない、などのマイナスイメージが強くて観光客が来なくなるので、意図的にフィリピンというのは前面に出していないそうです。
それほど良いイメージのない同国がどんな国か、明日のhirogにてもう少し紹介します。
(明日に続く)
遅れるとすぐに出張だとバレてしまいますね(笑)。
今はフィリピンに来ています。
フィリピンを訪問するのは初めてで、今までは失礼ながら「バナナ」ぐらいのイメージしか無かったのですが、一番有名なのは「マンゴー」だそうです。
それはともかくフィリピンに降り立って、思ったのはまず蒸し暑いこと。熱帯性気候のため、今のシーズンでも30度ぐらいあって湿度も高いのです。
街の中に入っていくと、まず目にするのが乗り合いバスの役割を果たしている乗り物。これは元々米軍のジープを改造して、大人数が乗れるようにしたものらしいのですが、行き先とか書いていないので、どうやって乗るのかがとても疑問でした。
街の印象は、とにかく色んな形やデザインの建物があり、人々も容貌や体型が様々であること。
中世の建物などがたくさん残っているのですが、経済的に豊かではないので、歴史や文化保存のために資金が回らないとか。
街中は圧倒的に英語の看板が多いので、アジアに来ていることを忘れてしまうぐらいです。
それもフィリピンの歴史と大きく関係しているようです。
16世紀中頃にスペインがフィリピンを征服して以来、スペインの植民地となり、19世紀末に米国がスペインに勝利して独立宣言をしたものの、その後米国の植民地となり、第二次世界大戦中には一時日本に占領されるなど、島国ならではの侵略の歴史を持っています。
このため、スペイン系、中国系の人々が混在しており、アジアでは珍しくキリスト教(カトリック)の国なのです。
フィリピンの9割以上が英語を話せるらしく、この英語認識率はアジアでもNo.1だとか。
ただ、これからはフィリピンらしさを出していくために、現地の言葉であるタガログ語に統一していこうという動きがあるそうです。
20世紀中盤に米国から独立したものの、今度はマルコス大統領による独裁政権となりました。
1980年代に起こったアキノ上院議員暗殺とマルコス政権崩壊は我々の記憶にも新しく、当時の日本のメディアでも大きく取り上げられていたのを覚えています。
フィリピンの第一印象は、タイとかベトナムに近いイメージ、物価とかは中国に近い感じです。
フィリピンは約7,000もの島々から成るらしいのですが、その中でもっとも有名なのは、「セブ島」ではないかと思います。
実は私もそうだったのですが、リゾート地として有名な「セブ島」がフィリピンの島の1つであることは意外と知られていないようです。
フィリピンというと、治安が悪い、インフラが整備されていない、などのマイナスイメージが強くて観光客が来なくなるので、意図的にフィリピンというのは前面に出していないそうです。
それほど良いイメージのない同国がどんな国か、明日のhirogにてもう少し紹介します。
(明日に続く)
ホテルマン(その2)
November 10, 2006
(昨日から続く)
ホテルは一見華やかではありますが、実際に働いてみて裏側を見てしまったり、お客様への対応で疑問に思うことが度々ありました。
まず、ホテルでは、サービスをすることに喜びを感じる方が働いているのかと思っていたのですが、実際には表裏がある方が少なくありませんでした。
例えばあるフロント主任は、お客様から何か聞かれたりしたときには、その場丁寧に答えているものの、お客様が立ち去った途端に「そんなの自分で調べろよ」とか文
句を言っているのです。
初めてその光景を見たときには幻滅を超えて絶句でした。
もっともその方は、私が入社して挨拶に伺ったときから「お前なんかに何も期待していない」と言われ、その後もさんざん嫌味を言われ続け、ホテル側と約束した期間を勤め上げて最後に挨拶に伺ったときさえも「お前が出世したら俺は人間辞める」と言い放つような方だったので特殊かも知れませんが・・・。
自分の都合が優先されることもしばしば。
例えば私が働いていたホテルには仮眠室というのは特に設けていなかったので、従業員はホテルのゲストルームを仮眠室として利用していました。
これ自体もどうかとは思うのですが、それでも満室でない場合は良いとして、何と満室のときでも仮眠室は譲らないのです。
あるとき、1人のお客様が突然の大雨の中泊まるところが無い様子で、直接ホテルの中まで入ってこられて、フロントに「金額は高くても結構ですので、なんとか泊めてもらえませんか?」と聞いてきました。
それに対してフロントは考える間もなく満室だと即答したのです。
部屋が2室空いていることを知っていた私は、何とも申し訳ない気持でしばらくそのことが頭に残っていました。
お客様の待遇に差があることも。
ベルデスクやフロントにはVIPリストなるものがあり、その日に宿泊するVIPがランクを付けて書かれています。到着時間、ウェルカムサービス、その人の嗜好などについても記されていて、それに合わせて対応することになっています。
ホテルの格式維持のためにVIP対応は仕方ないとしても、どうもそのランク付けは、利用回数とは全く関係がなく、知名度や社会的地位によってのみ決められていました。
お得意様を優遇するのはホスピタリティの向上になるので良いと思うのですが、初めて利用する人にどうしてそこまで差をつけるのかがしっくり来ませんでした。
ホテル側は区別だと言っていましたが、私にはどう考えても差別に見えていました。
その他、ここではコメント出来ませんが、お客様のプライバシーを侵害するような行為も少なくありませんでした。
そのホテルの社長は私と同じ高校の出身だったこともあってか、いつもお会いするとお声掛けをいただいていたのですが、ご高齢であることもあって毎日通勤されるわけではなかったので、私から見ていると全く裸の大将状態で、現場の状況が分かっていない感じでした。
辞めるときに、その社長にホテルの課題と思われることをまとめてお話したのですが、その後そのホテルの課題が改善されたかどうかは分かりません。
今度仙台に行く機会があったら、泊まってみたいと思います。
ホテルは一見華やかではありますが、実際に働いてみて裏側を見てしまったり、お客様への対応で疑問に思うことが度々ありました。
まず、ホテルでは、サービスをすることに喜びを感じる方が働いているのかと思っていたのですが、実際には表裏がある方が少なくありませんでした。
例えばあるフロント主任は、お客様から何か聞かれたりしたときには、その場丁寧に答えているものの、お客様が立ち去った途端に「そんなの自分で調べろよ」とか文
句を言っているのです。
初めてその光景を見たときには幻滅を超えて絶句でした。
もっともその方は、私が入社して挨拶に伺ったときから「お前なんかに何も期待していない」と言われ、その後もさんざん嫌味を言われ続け、ホテル側と約束した期間を勤め上げて最後に挨拶に伺ったときさえも「お前が出世したら俺は人間辞める」と言い放つような方だったので特殊かも知れませんが・・・。
自分の都合が優先されることもしばしば。
例えば私が働いていたホテルには仮眠室というのは特に設けていなかったので、従業員はホテルのゲストルームを仮眠室として利用していました。
これ自体もどうかとは思うのですが、それでも満室でない場合は良いとして、何と満室のときでも仮眠室は譲らないのです。
あるとき、1人のお客様が突然の大雨の中泊まるところが無い様子で、直接ホテルの中まで入ってこられて、フロントに「金額は高くても結構ですので、なんとか泊めてもらえませんか?」と聞いてきました。
それに対してフロントは考える間もなく満室だと即答したのです。
部屋が2室空いていることを知っていた私は、何とも申し訳ない気持でしばらくそのことが頭に残っていました。
お客様の待遇に差があることも。
ベルデスクやフロントにはVIPリストなるものがあり、その日に宿泊するVIPがランクを付けて書かれています。到着時間、ウェルカムサービス、その人の嗜好などについても記されていて、それに合わせて対応することになっています。
ホテルの格式維持のためにVIP対応は仕方ないとしても、どうもそのランク付けは、利用回数とは全く関係がなく、知名度や社会的地位によってのみ決められていました。
お得意様を優遇するのはホスピタリティの向上になるので良いと思うのですが、初めて利用する人にどうしてそこまで差をつけるのかがしっくり来ませんでした。
ホテル側は区別だと言っていましたが、私にはどう考えても差別に見えていました。
その他、ここではコメント出来ませんが、お客様のプライバシーを侵害するような行為も少なくありませんでした。
そのホテルの社長は私と同じ高校の出身だったこともあってか、いつもお会いするとお声掛けをいただいていたのですが、ご高齢であることもあって毎日通勤されるわけではなかったので、私から見ていると全く裸の大将状態で、現場の状況が分かっていない感じでした。
辞めるときに、その社長にホテルの課題と思われることをまとめてお話したのですが、その後そのホテルの課題が改善されたかどうかは分かりません。
今度仙台に行く機会があったら、泊まってみたいと思います。
ホテルマン(その1)
November 09, 2006
都内にある老舗ホテルで43年間勤めた伝説のホテルマンが引退するとのニュースがありました。
この方は1万人の顧客名前を覚えていたというから相当なものです。
かくいう私もホテルマンの時代がありました。
学生時代のアルバイトでベルボーイをしていただけなので、あまり偉そうなことは言えないのですが、それでもそのホテルは皇族や著名人の方々が利用する高級ホテルで社員と全く同様の仕事をしていました。
ホテルを選んだのは、私はサービス業が大好きで、私の頭の中でホテルはサービス業の集大成的存在であると考えているからです。
もっとも、そのような高級ホテルで私みたいな学生がアルバイトという立場でホテルのフロントに出ていっていいのだろうか、という疑問もあったのですが、人材難やコスト節約でアルバイトで賄っているホテルが少なくなかったようです。
勤務時間は16時から翌朝9時まで、ただし朝は大概チェックアウトの方々でバタバタするので、残業になることが少なくありませんでした。
2日に1度の隔日勤務であり、仮眠時間が数時間設けられているものの、17時間勤務は当初はなかなか慣れませんでした。
また、仮眠時間はルール上は2時間交代で、となっていたのですが、当然ながら先輩社員が先に寝るので、自分で起きてくれる方の場合はいいのですが、起きてこない場合に新米が起こしに行くのは容易ではなく、私を含め若い社員はほとんど休む時間が取れませんでした。
それでも私にとって、ベルボーイとして働いた経験は非常に貴重なものとなりました。
ベルボーイは、お客様との初めての接点なので、ホテルの第一印象を決める重要な役割を担っています。
エントランスに立ち、車がゲートから入ってくるのが目に入ると素早く表に出て、到着する車の中で、ゲストは誰かを見極め、そこのドアを開け、荷物を持ちながらフロントまでご案内することから始まります。
身だしなみ、姿勢、言葉遣い、気くばり、など一つ一つを先輩社員から教わったり、自分なりに考えたり学んだりしました。
私の社会人としてのマナーの基礎はこのベルボーイ時代に形成されたものだと思います。
また、色んな方にお会いすることができました。
皇族の方が来られたときには、ホテルの入り口から赤いカーペットで道をつくり、幹部スタッフ総出でお迎えするのですが、これが赤いジュータンか、本当にあるんだと、変に感心したことを覚えています。
芸能界やスポーツ業界などの著名人の方々については、プライバシーにかかわるのでお話できませんが、メディアなどで騒がれていることが実際にあるんだということを実感しました。
ある大臣が宿泊したときには、秘書(男性)が徹夜で翌日の講演会のための資料づくりをされていたので、お手伝いをしたこともあります。
そういったことは日常茶飯事らしいのですが、文句一つ言うどころか、その大臣を心から尊敬している様子で、大臣の話を嬉しそうに私にしてくれたのですが、そんな彼を見て私の方も嬉しくなってきて、こんな秘書がいる大臣は幸せものだな、と思いました。
(明日に続く)
この方は1万人の顧客名前を覚えていたというから相当なものです。
かくいう私もホテルマンの時代がありました。
学生時代のアルバイトでベルボーイをしていただけなので、あまり偉そうなことは言えないのですが、それでもそのホテルは皇族や著名人の方々が利用する高級ホテルで社員と全く同様の仕事をしていました。
ホテルを選んだのは、私はサービス業が大好きで、私の頭の中でホテルはサービス業の集大成的存在であると考えているからです。
もっとも、そのような高級ホテルで私みたいな学生がアルバイトという立場でホテルのフロントに出ていっていいのだろうか、という疑問もあったのですが、人材難やコスト節約でアルバイトで賄っているホテルが少なくなかったようです。
勤務時間は16時から翌朝9時まで、ただし朝は大概チェックアウトの方々でバタバタするので、残業になることが少なくありませんでした。
2日に1度の隔日勤務であり、仮眠時間が数時間設けられているものの、17時間勤務は当初はなかなか慣れませんでした。
また、仮眠時間はルール上は2時間交代で、となっていたのですが、当然ながら先輩社員が先に寝るので、自分で起きてくれる方の場合はいいのですが、起きてこない場合に新米が起こしに行くのは容易ではなく、私を含め若い社員はほとんど休む時間が取れませんでした。
それでも私にとって、ベルボーイとして働いた経験は非常に貴重なものとなりました。
ベルボーイは、お客様との初めての接点なので、ホテルの第一印象を決める重要な役割を担っています。
エントランスに立ち、車がゲートから入ってくるのが目に入ると素早く表に出て、到着する車の中で、ゲストは誰かを見極め、そこのドアを開け、荷物を持ちながらフロントまでご案内することから始まります。
身だしなみ、姿勢、言葉遣い、気くばり、など一つ一つを先輩社員から教わったり、自分なりに考えたり学んだりしました。
私の社会人としてのマナーの基礎はこのベルボーイ時代に形成されたものだと思います。
また、色んな方にお会いすることができました。
皇族の方が来られたときには、ホテルの入り口から赤いカーペットで道をつくり、幹部スタッフ総出でお迎えするのですが、これが赤いジュータンか、本当にあるんだと、変に感心したことを覚えています。
芸能界やスポーツ業界などの著名人の方々については、プライバシーにかかわるのでお話できませんが、メディアなどで騒がれていることが実際にあるんだということを実感しました。
ある大臣が宿泊したときには、秘書(男性)が徹夜で翌日の講演会のための資料づくりをされていたので、お手伝いをしたこともあります。
そういったことは日常茶飯事らしいのですが、文句一つ言うどころか、その大臣を心から尊敬している様子で、大臣の話を嬉しそうに私にしてくれたのですが、そんな彼を見て私の方も嬉しくなってきて、こんな秘書がいる大臣は幸せものだな、と思いました。
(明日に続く)
社長TV
November 08, 2006
11/6付『hirog』において、ソフトバンクの予想外割がショートメッセージのみが対象という書き方をしていましたが、その後ソフトバンク間の「S!メール」も対象になっており、それについて指摘がありましたので、ここで修正させていただきます。
実はこの指摘をしてくれたのは、fonfunの元社員なのですが、こうやって退職したにもかかわらず、会社に関心をもってくれているというのは嬉しいことです。
さて、先日藤沢久美さんに取材を受けた「社長TV」が公開になりました。
http://shachotv.jp
興味のある方はご覧ください。
なお、ここには広報スタッフ山本のインタビューも公開されているのですが、私も本日初めて目にしました。
山本からは普段、アドバイス(!?)を受けていることが多いので、取材意図があるとは言え、普段耳にしない褒め言葉が出てくるので、歯が浮くというか、照れくさくなってきました(笑)。
映像を見ていると、彼女も相当緊張していた感じがします。
最近、同じような社長のインタビューをまとめたメディアや社長ブログ特集とかへの掲載の勧誘を受けることが度々あるのですが、話を聞いていると、相手方も心得たもので、ほとんどが有料掲載になっています。(念のため「社長TV」は無料です)
会社にとってPRになるかも知れないとはいえ、先方もそれをネタに他のビジネスモデル(広告収入とか)も考えていると思うので、今のところなんとなく抵抗があるのが正直なところです。
もし、fonfunが世界的な優良企業で、私がメディアとかの常連だったなら、逆に出演料とかもらえるのかな、などとわけの分からないことまで考えてしまいました(笑)。
実はこの指摘をしてくれたのは、fonfunの元社員なのですが、こうやって退職したにもかかわらず、会社に関心をもってくれているというのは嬉しいことです。
さて、先日藤沢久美さんに取材を受けた「社長TV」が公開になりました。
http://shachotv.jp
興味のある方はご覧ください。
なお、ここには広報スタッフ山本のインタビューも公開されているのですが、私も本日初めて目にしました。
山本からは普段、アドバイス(!?)を受けていることが多いので、取材意図があるとは言え、普段耳にしない褒め言葉が出てくるので、歯が浮くというか、照れくさくなってきました(笑)。
映像を見ていると、彼女も相当緊張していた感じがします。
最近、同じような社長のインタビューをまとめたメディアや社長ブログ特集とかへの掲載の勧誘を受けることが度々あるのですが、話を聞いていると、相手方も心得たもので、ほとんどが有料掲載になっています。(念のため「社長TV」は無料です)
会社にとってPRになるかも知れないとはいえ、先方もそれをネタに他のビジネスモデル(広告収入とか)も考えていると思うので、今のところなんとなく抵抗があるのが正直なところです。
もし、fonfunが世界的な優良企業で、私がメディアとかの常連だったなら、逆に出演料とかもらえるのかな、などとわけの分からないことまで考えてしまいました(笑)。
信長の棺
November 07, 2006
先日の『hirog』でテレビのことを書いていたら、急にテレビが見たくなり、電車の中吊り広告で宣伝していた「信長の棺」というドラマを見ました。
私は原作を読んだことがないので、信長か秀吉が主人公かと思っていたら、信長の臣下であった松本幸四郎扮する太田牛一氏が「信長公記」を書き上げるまでの物語でした。
秀吉ファンの私としては、少し物足りなさを感じるドラマだったのですが、本能寺の変に隠された事実を解明していく流れは通常の歴史ドラマとは違う趣でした。
本能寺の変を起こした明智光秀の動機については、これまで織田信長に冷遇されたことの恨みから来るとか、天下取りの野望があって防御の少ない本能寺を襲ったとか、朝廷を軽視していた信長から朝廷の権力を守るためだったとか諸説あります。
例えば以前放映されていたNHK大河ドラマの『秀吉』では徳川家康と千利休の謀略として描かれていました。
ちなみに明智光秀の末裔が、元内閣総理大臣の細川護煕(もりひろ)氏であるとも言われています。
小泉純一郎元首相の愛読書でもあったというこの「信長の棺」においては、本能寺の変において信長の遺骸が発見されず、本能寺で自害したのではないのではな
いかというところから始まります。
そして本能寺に抜け穴があり、それが寺に続いていて逃げたのではないかと推測し、ついにその真相を知る僧に出会い、真実を知るのです。
それによると、秀吉が黒幕で抜け穴を塞いでいたために信長が逃げられずに自害した、とのことでした。
考えられなくもないですが、少し出来すぎた設定のような気もしました。
「信長の棺」の中では、秀吉が「信長公記」の原著に関して、自分に都合の良いように太田牛一に何度も書き直させるシーンが出てくるのですが、歴史書物というのは、勝者に有利に書かれているから信憑性が疑われやすいのだと思います。
もっとも、この「信長の棺」においては、太田牛一は一度納品した「信長公記」に後日自分で調べ上げた真実の部分を差し込み、真実を後世に残した、という設定になっており、現在「信長公記」が正確であると言われるのを後押しする形となっていました。
私は原作を読んだことがないので、信長か秀吉が主人公かと思っていたら、信長の臣下であった松本幸四郎扮する太田牛一氏が「信長公記」を書き上げるまでの物語でした。
秀吉ファンの私としては、少し物足りなさを感じるドラマだったのですが、本能寺の変に隠された事実を解明していく流れは通常の歴史ドラマとは違う趣でした。
本能寺の変を起こした明智光秀の動機については、これまで織田信長に冷遇されたことの恨みから来るとか、天下取りの野望があって防御の少ない本能寺を襲ったとか、朝廷を軽視していた信長から朝廷の権力を守るためだったとか諸説あります。
例えば以前放映されていたNHK大河ドラマの『秀吉』では徳川家康と千利休の謀略として描かれていました。
ちなみに明智光秀の末裔が、元内閣総理大臣の細川護煕(もりひろ)氏であるとも言われています。
小泉純一郎元首相の愛読書でもあったというこの「信長の棺」においては、本能寺の変において信長の遺骸が発見されず、本能寺で自害したのではないのではな
いかというところから始まります。
そして本能寺に抜け穴があり、それが寺に続いていて逃げたのではないかと推測し、ついにその真相を知る僧に出会い、真実を知るのです。
それによると、秀吉が黒幕で抜け穴を塞いでいたために信長が逃げられずに自害した、とのことでした。
考えられなくもないですが、少し出来すぎた設定のような気もしました。
「信長の棺」の中では、秀吉が「信長公記」の原著に関して、自分に都合の良いように太田牛一に何度も書き直させるシーンが出てくるのですが、歴史書物というのは、勝者に有利に書かれているから信憑性が疑われやすいのだと思います。
もっとも、この「信長の棺」においては、太田牛一は一度納品した「信長公記」に後日自分で調べ上げた真実の部分を差し込み、真実を後世に残した、という設定になっており、現在「信長公記」が正確であると言われるのを後押しする形となっていました。
MNP
November 06, 2006
10月24日に始まったナンバーポータビリティ(携帯会社を変えても番号がそのまま使える携帯番号が継続されること。MNP)ですが、携帯会社のシェアが変わるトリガー(キッカケ)となり得るとあって、あらゆるメディアで広告合戦が行われています。
携帯業界でビジネスをする者として、注目して動向を見ていますが、各社の広告は正直どれも中途半端な感じが否めません。
もっとも、MNP自体が携帯会社固有の事象ではないので、そこから特徴を出すのが難しいのだと思います。
例えばDoCoMoのようなリーディングカンパニーにしてみれば、新規獲得はもちろんですが、他の携帯会社に乗り換える人を少なくする(つまり既存顧客のホスピタリティ向上)というのも大事だからです。
また、広告の中にMNPという言葉をよく目にするのですが、一般の人には分かりにくいように思います。
既にメディアで報道されていますが、事前に予想されていたとおり、今のところはauがシェアを伸ばしているようです。
注目されていたソフトバンクは、予想外割と題して「通話料0円、メール0円」というインパクトをもってPRを行っていますが、システム障害が発生したり、広告が誤解を招く可能性があるとして、公正取引委員会が調査を始めたりと、出鼻をくじかれている感じです。
もっとも、予想外割が適用になるのは条件が多く、メールもソフトバンク間のショートメッセージのみが対象ですから、誤解を招くと言われても仕方がないかも知れません。
知り合いの話では、他の携帯会社に乗り換えようとしたら、乗り換えた場合のデメリットを散々聞かされて、相当な引き止めがなされたとか。
うちのグループ会社のグローバル・コミュニケーション・インクのような併売店はどの携帯会社の契約が取れてもいいのですが、キャリアショップ(特定の携帯会社のみ扱う)は乗り換え阻止に一生懸命なのだと思います。
ちなみに、MNPはあくまで番号継続なので、メールアドレスは変わってしまいますが、fonfunの提供するリモートメールのアドレスを使えば、携帯会社が変わっても同じメールアドレスが使えます(笑)。
MNPをきっかけにリモートメールユーザーも増えて欲しいものです。
携帯業界でビジネスをする者として、注目して動向を見ていますが、各社の広告は正直どれも中途半端な感じが否めません。
もっとも、MNP自体が携帯会社固有の事象ではないので、そこから特徴を出すのが難しいのだと思います。
例えばDoCoMoのようなリーディングカンパニーにしてみれば、新規獲得はもちろんですが、他の携帯会社に乗り換える人を少なくする(つまり既存顧客のホスピタリティ向上)というのも大事だからです。
また、広告の中にMNPという言葉をよく目にするのですが、一般の人には分かりにくいように思います。
既にメディアで報道されていますが、事前に予想されていたとおり、今のところはauがシェアを伸ばしているようです。
注目されていたソフトバンクは、予想外割と題して「通話料0円、メール0円」というインパクトをもってPRを行っていますが、システム障害が発生したり、広告が誤解を招く可能性があるとして、公正取引委員会が調査を始めたりと、出鼻をくじかれている感じです。
もっとも、予想外割が適用になるのは条件が多く、メールもソフトバンク間のショートメッセージのみが対象ですから、誤解を招くと言われても仕方がないかも知れません。
知り合いの話では、他の携帯会社に乗り換えようとしたら、乗り換えた場合のデメリットを散々聞かされて、相当な引き止めがなされたとか。
うちのグループ会社のグローバル・コミュニケーション・インクのような併売店はどの携帯会社の契約が取れてもいいのですが、キャリアショップ(特定の携帯会社のみ扱う)は乗り換え阻止に一生懸命なのだと思います。
ちなみに、MNPはあくまで番号継続なので、メールアドレスは変わってしまいますが、fonfunの提供するリモートメールのアドレスを使えば、携帯会社が変わっても同じメールアドレスが使えます(笑)。
MNPをきっかけにリモートメールユーザーも増えて欲しいものです。
お月見
November 05, 2006
「お月見」と言えば、「中秋の名月」が有名ですが、歌にもあるように、この日は旧暦8月15日であることから「十五夜お月さん」とも言われています。
昨日(11月3日)は、もう一つのお月見の日である「十三夜」(旧暦9月13日)でした。
物の本によると、十五夜は中国から伝えられた行事だが、十三夜は日本独自の風習だということです。
そうなれば、日本人として十三夜を無視してはならぬと思い立ち、お月見をすることにしました。
とは思ったものの、なにしろ東京へ来て15年ぶりのお月見です。
お月見に何を用意していたかをおぼろげながら思い出しながら、近くのスーパーに買出しに行ったのですが、最初に思い出した2つ(おそらくこれらが主役)である「栗」や「ススキ」は売っていませんでした。
もちろん、十五夜ではなかったのもあるのかも知れないのですが、お月見のやり方が地方により違うのかも知れません。
私の地元では、必ずススキ(もちろん仙台ではその辺の空き地から取って来れるので購入の必要は無いのですが)を飾り、その横に「栗」「梨」「柿」「団子」「枝豆」などを盛るのです。
そしてお月様にお祈りをしてからこれらをいただくのです。
私は別にお月見に関心があったわけではないのですが、家族でこれらの食べ物を一緒に食べる雰囲気が好きで、お月見になるとワクワクしていました。
昨日は、結局「栗」は、更に違うお店に探しに行って、なんとか「ムキ栗」(殻の無い中身だけのもの)を見つけたので、それで間に合わせることとし、家に帰って「ムキ栗」と「醤油串団子」をいただいたのでした。
肝心のお月様は、雲の陰に隠れていらっしゃいましたが・・・。
昨日(11月3日)は、もう一つのお月見の日である「十三夜」(旧暦9月13日)でした。
物の本によると、十五夜は中国から伝えられた行事だが、十三夜は日本独自の風習だということです。
そうなれば、日本人として十三夜を無視してはならぬと思い立ち、お月見をすることにしました。
とは思ったものの、なにしろ東京へ来て15年ぶりのお月見です。
お月見に何を用意していたかをおぼろげながら思い出しながら、近くのスーパーに買出しに行ったのですが、最初に思い出した2つ(おそらくこれらが主役)である「栗」や「ススキ」は売っていませんでした。
もちろん、十五夜ではなかったのもあるのかも知れないのですが、お月見のやり方が地方により違うのかも知れません。
私の地元では、必ずススキ(もちろん仙台ではその辺の空き地から取って来れるので購入の必要は無いのですが)を飾り、その横に「栗」「梨」「柿」「団子」「枝豆」などを盛るのです。
そしてお月様にお祈りをしてからこれらをいただくのです。
私は別にお月見に関心があったわけではないのですが、家族でこれらの食べ物を一緒に食べる雰囲気が好きで、お月見になるとワクワクしていました。
昨日は、結局「栗」は、更に違うお店に探しに行って、なんとか「ムキ栗」(殻の無い中身だけのもの)を見つけたので、それで間に合わせることとし、家に帰って「ムキ栗」と「醤油串団子」をいただいたのでした。
肝心のお月様は、雲の陰に隠れていらっしゃいましたが・・・。
電車小旅行
November 04, 2006
たまには、車を使わずにぶらぶらと目的も無く電車に揺られるのもいいかなと思い、とりあえず西の方に向かうことにしました。
各駅停車で京王八王子までコトコト辿り着き、JR八王子駅からどこへ行こうかと路線図を眺めていたのですが、西の方に「御岳」というのが目に入りました。
「あれ?御岳って御岳渓谷とかで聞いたことがあるな、きっと紅葉が綺麗な場所かも知れない、今がシーズンかも」
その瞬間今日の目的地は決まりました。
そこでまず八高線に乗換えようとして路線図をみてビックリ、今まで八高線の「高」は「高崎」(群馬県)を表すものだと勝手に思い込んでいたのですが、「高麗川」(埼玉の地名)だと初めて知りました。
車を使わないと新しい発見があっていいなーと電車小旅行の選択をした自分を褒めていたのも束の間、行楽シーズンの週末だというのに、1時間に2本しか電車が無いのです。
仕方が無いので駅の売店でお菓子やらジュースやらを買い込み、やっと来た電車に乗り込み拝島から今度は青梅線へ乗り換えることにしました。
乗った電車は青梅までしか行かない電車だったのですが、青梅駅に着いてまたビックリ、青梅から先に行く電車は更に30分待たないと来ないというのです。
まーここで慌てても仕方ないと思い直して、やっと電車が来て乗ってみて分かったのはその先は単線なのです。
しかもこの観光シーズンで30分も待って4両編成なので超満員でした。
やっと目的地である「御岳」に着いたときには、既に2時を回っており、とりあえず「御岳山」・「ケーブルカー」と書いてある看板があったのでその方向に歩いていってバスに乗り込み、そのバスはなぜか時速10kmで走り続け、ようやくケーブルカーの乗り場へ到着しました。
ケーブルカーの切符を買おうとして「以前もこんなシーンがあったような、デジャヴ現象かな」と思い、ふと近くを見ると焼き魚を売っている出店が・・・。
間違いない、以前ここに来て、この出店の焼き魚を食べたことがあるのです。
そう、昨年の今頃、車でここに来ていたのでした。
昨年の今頃も車で紅葉の綺麗なところはないか、と車で地図を見ながらブラブラと運転して、結果辿り着いたのがこの「御岳渓谷」だったのです。
以前も目的無く来たこと、今回は電車で来ていたこと、から途中は全く同じところに向かっていたことに気づかなかったのでした。
結局、同じケーブルカーに2回乗るのも芸が無い、ということで乗るのはやめ、駅に引き返しました。
そして前回は間違いなく行っていない、地元のおいしい「蕎麦屋」に入ることにしました。
これで前回とは違う旅になるはず、と思い入った蕎麦屋には長蛇の列が・・・。
順番を待つこと1時間、更に蕎麦が出てくるまで40分ぐらい待ち、蕎麦屋を出たときには夕方で、電車の時間が心配だったので、そのまま帰ることに・・・。
ほとんど電車移動と待ち時間だけで過ぎ去った秋の週末の1日でした。
各駅停車で京王八王子までコトコト辿り着き、JR八王子駅からどこへ行こうかと路線図を眺めていたのですが、西の方に「御岳」というのが目に入りました。
「あれ?御岳って御岳渓谷とかで聞いたことがあるな、きっと紅葉が綺麗な場所かも知れない、今がシーズンかも」
その瞬間今日の目的地は決まりました。
そこでまず八高線に乗換えようとして路線図をみてビックリ、今まで八高線の「高」は「高崎」(群馬県)を表すものだと勝手に思い込んでいたのですが、「高麗川」(埼玉の地名)だと初めて知りました。
車を使わないと新しい発見があっていいなーと電車小旅行の選択をした自分を褒めていたのも束の間、行楽シーズンの週末だというのに、1時間に2本しか電車が無いのです。
仕方が無いので駅の売店でお菓子やらジュースやらを買い込み、やっと来た電車に乗り込み拝島から今度は青梅線へ乗り換えることにしました。
乗った電車は青梅までしか行かない電車だったのですが、青梅駅に着いてまたビックリ、青梅から先に行く電車は更に30分待たないと来ないというのです。
まーここで慌てても仕方ないと思い直して、やっと電車が来て乗ってみて分かったのはその先は単線なのです。
しかもこの観光シーズンで30分も待って4両編成なので超満員でした。
やっと目的地である「御岳」に着いたときには、既に2時を回っており、とりあえず「御岳山」・「ケーブルカー」と書いてある看板があったのでその方向に歩いていってバスに乗り込み、そのバスはなぜか時速10kmで走り続け、ようやくケーブルカーの乗り場へ到着しました。
ケーブルカーの切符を買おうとして「以前もこんなシーンがあったような、デジャヴ現象かな」と思い、ふと近くを見ると焼き魚を売っている出店が・・・。
間違いない、以前ここに来て、この出店の焼き魚を食べたことがあるのです。
そう、昨年の今頃、車でここに来ていたのでした。
昨年の今頃も車で紅葉の綺麗なところはないか、と車で地図を見ながらブラブラと運転して、結果辿り着いたのがこの「御岳渓谷」だったのです。
以前も目的無く来たこと、今回は電車で来ていたこと、から途中は全く同じところに向かっていたことに気づかなかったのでした。
結局、同じケーブルカーに2回乗るのも芸が無い、ということで乗るのはやめ、駅に引き返しました。
そして前回は間違いなく行っていない、地元のおいしい「蕎麦屋」に入ることにしました。
これで前回とは違う旅になるはず、と思い入った蕎麦屋には長蛇の列が・・・。
順番を待つこと1時間、更に蕎麦が出てくるまで40分ぐらい待ち、蕎麦屋を出たときには夕方で、電車の時間が心配だったので、そのまま帰ることに・・・。
ほとんど電車移動と待ち時間だけで過ぎ去った秋の週末の1日でした。
芋煮会
November 03, 2006
11月に入り、いよいよ紅葉の季節となってきました。
この季節になると、必ず思い出すのが「芋煮会」です。
私はずっと「芋煮会」は全国行事だと思っていたのですが、東京に出てきて初めての秋に同期入社の人達に「芋煮会やろうよ」と言ったら皆に「何それ?」と言われ、そのときに初めて地域限定行事なのだと悟りました。
そうです。「芋煮会」とは東北地方に伝統的に残る季節行事なのです。
秋に河川敷などの野外にグループで集まり、里芋をベースとした鍋料理をつくります。
つまり、芋煮会は、全国で言うところの「バーベキュー」みたいなもので、料理が「肉」ではなく「芋煮」だということです。
私の地元の仙台では、仙台味噌を使った豚汁が一般的でした。
芋煮会は大概男性が主役です。というのは、芋煮の材料は、里芋、コンニャク、人参、大根、ゴボウ等なのですが、大きな鍋に大人数用につくるため、具もかなり大雑把で、時にはほとんど手でちぎって鍋に突っ込んでいくのです。この具の形が一定しないのがまたいい味を出すのです。
私は普段料理をしないくせに、芋煮会のときだけは、先導をきって材料を次々に鍋に運んでいました。
そして肌寒い秋の空のもとで、あったか〜い芋煮を皆でフーフーいいながらいただくのです。想像しただけでおいしそうでしょう?
自然の中で食べる豪快な具の入った芋煮は、とにかくおいしいのです。
私は和食をあまり好んで食べないのですが、里芋の煮物が大好きなのは、おそらくこの芋煮会から来ていると思います。
芋煮会を知らなかった同期の人に説明したときに「芋煮以外は何を食べるの?」と聞かれ、よく考えたら芋煮しか食べないことに気づき、何故単品なんだろう、とあらためて不思議に思いました。
芋煮会は地域によっては具が異なったり、醤油味だったり、若干異なるようです。
ちなみに山形では「日本一の芋煮会フェスティバル」なるものが行われ、3万食の芋煮が作られるとか。
東京へ来て既に15年、一度も芋煮会をしていません。
fonfunのスタッフとか、企画してくれないかな。
この季節になると、必ず思い出すのが「芋煮会」です。
私はずっと「芋煮会」は全国行事だと思っていたのですが、東京に出てきて初めての秋に同期入社の人達に「芋煮会やろうよ」と言ったら皆に「何それ?」と言われ、そのときに初めて地域限定行事なのだと悟りました。
そうです。「芋煮会」とは東北地方に伝統的に残る季節行事なのです。
秋に河川敷などの野外にグループで集まり、里芋をベースとした鍋料理をつくります。
つまり、芋煮会は、全国で言うところの「バーベキュー」みたいなもので、料理が「肉」ではなく「芋煮」だということです。
私の地元の仙台では、仙台味噌を使った豚汁が一般的でした。
芋煮会は大概男性が主役です。というのは、芋煮の材料は、里芋、コンニャク、人参、大根、ゴボウ等なのですが、大きな鍋に大人数用につくるため、具もかなり大雑把で、時にはほとんど手でちぎって鍋に突っ込んでいくのです。この具の形が一定しないのがまたいい味を出すのです。
私は普段料理をしないくせに、芋煮会のときだけは、先導をきって材料を次々に鍋に運んでいました。
そして肌寒い秋の空のもとで、あったか〜い芋煮を皆でフーフーいいながらいただくのです。想像しただけでおいしそうでしょう?
自然の中で食べる豪快な具の入った芋煮は、とにかくおいしいのです。
私は和食をあまり好んで食べないのですが、里芋の煮物が大好きなのは、おそらくこの芋煮会から来ていると思います。
芋煮会を知らなかった同期の人に説明したときに「芋煮以外は何を食べるの?」と聞かれ、よく考えたら芋煮しか食べないことに気づき、何故単品なんだろう、とあらためて不思議に思いました。
芋煮会は地域によっては具が異なったり、醤油味だったり、若干異なるようです。
ちなみに山形では「日本一の芋煮会フェスティバル」なるものが行われ、3万食の芋煮が作られるとか。
東京へ来て既に15年、一度も芋煮会をしていません。
fonfunのスタッフとか、企画してくれないかな。
インド
November 02, 2006
インド・・・。私がまだ足を踏み入れたことのない国で、行ってみたい国の1つです。
行ったことのない国を話題にするのもどうかと思うのですが、つい昨日インドに関連する会社とのMTGがあり、あらためてインドという国を思い起こしていました。
インドの魅力、三浦個人としてのそれは「歴史」と「象」です。
インドは四大文明の一つである「インダス文明」の発祥の地であるにもかかわらず、アレキサンダー大王ことアレキサンドロス三世の遠征を受け、一時は危うい状況になりました。
歴史物の大好きな私は映画「アレキサンダー」は当然見ているのですが、アレキサンダー大王がインドに辿り着き、地元の民族と格闘して苦戦するシーンがあるのですが、ここでインド民族が象にのって戦っていたのが印象に残っています。
中世には、イギリスの東インド会社設立をきっかけにイギリスの植民地化への道をたどり、独立したのは1947年のことですから、来年でやっと60年になるところです。
私は一度象に乗ってみたいのですが、何度か国内で象に乗る機会があったにもかかわらず、「象に乗るならやはりインドでなくては」という変なこだわりがあり、未だ実現できていません。
象の背中の乗ると痛いという話も聞いたことがありますが、本当なのでしょうか?
fonfunから見たインドの魅力は「携帯市場」と「技術リソース」です。
インドはBRICsの一つとして世界的に注目されていますが、人口も世界2位と、一人っ子政策を取って増加が限定的になっている中国にすぐにも追いつきそうな勢いです。
つい最近目にしたニュースでは月600万台のペースで携帯ユーザーが増えたとか。世界一の携帯国家となった中国でも最盛期の増加ペースは月500万台でしたから、これはそれを上回るペースです。変な話、このペースで増え続けるとたった1年ちょっとで日本の総携帯ユーザー数に到達してしまうのです。
インド最高峰であるインド工科大学は、米国のMIT(マサチューセッツ工科大学)に匹敵するとも言われていますが、インドの技術者はハイレベルで英語が使える人が多いため、開発拠点としても有力視されています。
わがfonfunの取締役K氏は、インドで活躍している友人がいて、私がインドを訪問した際には象で迎えに来てくれるそうです(笑)。
実現はいつになることでしょうか・・・。
行ったことのない国を話題にするのもどうかと思うのですが、つい昨日インドに関連する会社とのMTGがあり、あらためてインドという国を思い起こしていました。
インドの魅力、三浦個人としてのそれは「歴史」と「象」です。
インドは四大文明の一つである「インダス文明」の発祥の地であるにもかかわらず、アレキサンダー大王ことアレキサンドロス三世の遠征を受け、一時は危うい状況になりました。
歴史物の大好きな私は映画「アレキサンダー」は当然見ているのですが、アレキサンダー大王がインドに辿り着き、地元の民族と格闘して苦戦するシーンがあるのですが、ここでインド民族が象にのって戦っていたのが印象に残っています。
中世には、イギリスの東インド会社設立をきっかけにイギリスの植民地化への道をたどり、独立したのは1947年のことですから、来年でやっと60年になるところです。
私は一度象に乗ってみたいのですが、何度か国内で象に乗る機会があったにもかかわらず、「象に乗るならやはりインドでなくては」という変なこだわりがあり、未だ実現できていません。
象の背中の乗ると痛いという話も聞いたことがありますが、本当なのでしょうか?
fonfunから見たインドの魅力は「携帯市場」と「技術リソース」です。
インドはBRICsの一つとして世界的に注目されていますが、人口も世界2位と、一人っ子政策を取って増加が限定的になっている中国にすぐにも追いつきそうな勢いです。
つい最近目にしたニュースでは月600万台のペースで携帯ユーザーが増えたとか。世界一の携帯国家となった中国でも最盛期の増加ペースは月500万台でしたから、これはそれを上回るペースです。変な話、このペースで増え続けるとたった1年ちょっとで日本の総携帯ユーザー数に到達してしまうのです。
インド最高峰であるインド工科大学は、米国のMIT(マサチューセッツ工科大学)に匹敵するとも言われていますが、インドの技術者はハイレベルで英語が使える人が多いため、開発拠点としても有力視されています。
わがfonfunの取締役K氏は、インドで活躍している友人がいて、私がインドを訪問した際には象で迎えに来てくれるそうです(笑)。
実現はいつになることでしょうか・・・。
テレビ
November 01, 2006
私はもともとテレビが大好きです。
私は田舎の家庭に育ったので、家にテレビは一つしか無く、子供3人でいつもチャンネルは奪い合いでした。そうなるといつも姉と妹の女性陣に負けてしまい、女の子向けの番組ばかり見せられていました。
特に私は水戸黄門とか歴史ドラマが好きだったので、家族の中では完全に少数派だったのです。
よってなんと、私は当時一斉を風靡していた「宇宙戦艦ヤマト」とか「銀河鉄道999」とか「機動戦士ガンダム」といったアニメは1度も見たことがありません。そのため友達の会話に交じれないことも度々でした。
その辺の苦労話は別の機会に譲るとして、学生のときにアルバイトで貯めたお金で自分のテレビ(といっても小型で白黒でした)を買ったときには本当に嬉しくて、毎夜テレビに釘付けになっていた時期もあります。
当時はトレンディードラマが盛り上がり始めていた時期だったこともあって、ほとんどのドラマ情報を知り尽くしていました。
そんなテレビ好きだった私ですが、社会人になって仕事が忙しくなってから次第に見る時間が少なくなり、ここ数年日本のテレビはほとんど見ていません。(日本と限定しているのは中国駐在のときには語学学習にテレビが欠かせなかったからです)
見ない理由は、時間が無いというのが根本にあるのですが、私の性格上見てしまって中毒になるのが怖くて意図的に避けている、ということもあります。
fonfunが事業としているモバイルコンテンツというのは、時代の流行やトレンドを敏感にキャッチしなくてはいけないので、テレビを見る時間が少なくなった分、インターネットや人づてでなるべく情報を得るように努めていますが、どうしても偏りは出てしまうようです。
例えば私は韓流ブームというのには全く無縁で、未だに韓国のタレントの名前を覚えていません。
今思えば、以前テレビを見ていた頃は、よくドラマやドキュメンタリーに感動して、「明日から自分も頑張るぞ!」という生活のカンフル剤的な効果も多かったように思います。
ということで、老後は思う存分テレビを見たいと思う三浦でした。
私は田舎の家庭に育ったので、家にテレビは一つしか無く、子供3人でいつもチャンネルは奪い合いでした。そうなるといつも姉と妹の女性陣に負けてしまい、女の子向けの番組ばかり見せられていました。
特に私は水戸黄門とか歴史ドラマが好きだったので、家族の中では完全に少数派だったのです。
よってなんと、私は当時一斉を風靡していた「宇宙戦艦ヤマト」とか「銀河鉄道999」とか「機動戦士ガンダム」といったアニメは1度も見たことがありません。そのため友達の会話に交じれないことも度々でした。
その辺の苦労話は別の機会に譲るとして、学生のときにアルバイトで貯めたお金で自分のテレビ(といっても小型で白黒でした)を買ったときには本当に嬉しくて、毎夜テレビに釘付けになっていた時期もあります。
当時はトレンディードラマが盛り上がり始めていた時期だったこともあって、ほとんどのドラマ情報を知り尽くしていました。
そんなテレビ好きだった私ですが、社会人になって仕事が忙しくなってから次第に見る時間が少なくなり、ここ数年日本のテレビはほとんど見ていません。(日本と限定しているのは中国駐在のときには語学学習にテレビが欠かせなかったからです)
見ない理由は、時間が無いというのが根本にあるのですが、私の性格上見てしまって中毒になるのが怖くて意図的に避けている、ということもあります。
fonfunが事業としているモバイルコンテンツというのは、時代の流行やトレンドを敏感にキャッチしなくてはいけないので、テレビを見る時間が少なくなった分、インターネットや人づてでなるべく情報を得るように努めていますが、どうしても偏りは出てしまうようです。
例えば私は韓流ブームというのには全く無縁で、未だに韓国のタレントの名前を覚えていません。
今思えば、以前テレビを見ていた頃は、よくドラマやドキュメンタリーに感動して、「明日から自分も頑張るぞ!」という生活のカンフル剤的な効果も多かったように思います。
ということで、老後は思う存分テレビを見たいと思う三浦でした。